高村薫さんという作家がいる。小説を読んだことはないのだが、この方が月に一回新聞にエッセイを書いていて、私はこの方の連載を楽しみに読んでいる。
昨日、6回目のタイトルは【掃除と生きる力】だった。掃除は好きだが片付けは苦手とある、私もそうなので親近感を、(何より雑巾がけを毎日しているというそこのところに)もった。
家にいるときの私の一番の気分転換は、やはり雑巾がけなのである。何か気分がすぐれない時などは、毎日ではないが、雑巾がけをしてからやりたいことに向かうようにしている。
床や廊下の木の分はもちろん、畳も雑巾で拭く。何よりもさわやかスッキリ、効果てきめん裸足で歩くと気持ちがいい。特に我が家は屋内で犬を飼っているので、夏はとくにメルの毛が抜けて、掃除機ではやはり駄目なのである。
高村さんは書いている、掃除は生きるエネルギーと直結していると。 まったく私も同感である。時折うんざりしながらも、体調を図るバロメーターとしても、私もまた高村さんと同じように、目線を低くして隅にたまっている、メルの毛や綿ぼこりを掃除する。
掃除の効用は私みたいな単細胞には実に大きい。気が重い時などはあえてやる。やっていると徐々にエンジンがかかってきて、一時間近くやっていることもたまにある。
部屋数があるので、日々循環しながらを心かけている。つくずく人間は気持ちの持ちようが大事なのだ、動く身体がないと当たり前だが掃除はできない。
高村さんは、ひとり暮らしなので、日々の雑事含め全部一人でこなしながら、小説を書く仕事をされているわけだから、えらいと思う。
繰り返しの反復掃除。今後も可能な限り自分でできることは努めて自分でやれるように心かけたい。
言うは易し、行うは難しだが、継続の効用はじわじわと脳のシナプスを育む。すべては何事も一歩一歩の積み重ねなのだ。人生には近道はないと思い知る
とここまで書いて、いきなり話は変わる。今日はこれから山陽カルチャーでたった一人の85歳の素敵に年齢を重ねている一人の女性と二人でシェイクスピアの・お気に召すまま・を読む。
間違いの喜劇・十二夜・ジュリアスシーザー・冬物語・ロミオとジュリエット・ハムレット・ヴェニスの商人・オセローと、二人でこの二年間読んできた。
お気に召すままで九冊目のW・シェイクスピア作品になる。 私自身お気に召すままを、読むのは35年ぶりである。今再びシェイクスピア作品を声に出して読むことが生活の主なエネルギーになりつつある。
人生の時間は有限だ、あれもこれもは無理。日々の暮らしので基本の掃除をしながら心身を整え、可能な限りシェイクスピア作品を声に出しながら、老いてゆきたい私だ。
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