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2013-10-17

金木犀が散った朝に思う、取り留めなき朝ブログ

散ってしまったきんもくせい

台風の余波の風で我が家の金木犀の花はほとんどちってしまった、と同時にいきなり肌寒い夜に昨夜はなった。起きてまだ30分ほどだが静かに夜が明けてきた。先程まで星が見えていたので、今日もよい天気になりそうである。

 

岡山はほとんど台風による被害はなかったようだが、関東の伊豆大島をはじめ、被災地ほか、いろんなところに被害が出た模様である。本当にあのような被害に自分があったらどのような心境になるのかと思うと、ただ平凡に生きられるだけで充分なる幸せだ。

 

個人的なことで恐縮だが、先日東京生活を春から始めた長女が仕事のついでに週末帰ってきた。母も一緒に久しぶり全員がそろいお昼を共にした。長女が支払ってくれた。はなはだこんなことをかく自分が少し恥ずかしいのだが、こんな日が自分に訪れようとは思いもしなかった。

 

家庭、家族を持てるとも思えないような不確かな人生を、選択した私にとっては、言葉ではいい知れぬ感情がいまだに在るのである。朝からこんなことをかくことになるとは、つい先ほどまで思いもしなかった。

 

尻切れトンボになるかもしれない朝ブログである。妻と出会わなかったら、娘が生まれなかったら、とIFを書き連ねたら、まさに人生は出会いでどのようにも運命が書きかえられることだろう。

 

最初の娘の生誕はやはり、私にとっては大きく人生を変えたと思う。詳しくはかけないが、生まれたての生命力ほとばしる、いわゆる赤ちゃんの存在はまったくまぶしかった。これが自分の子供なのかと思うと、不思議な感覚におそわれたことを、いまだ昨日の出来事のように思いだす自分がいる。

 

その娘が成長し親元を離れ、来年は異国の男性と結婚するというのだ。歳月人をまたずと言うが、まさに非情に時は流れ、万物は流転し、自然は千変万化する。そのことを受け入れてゆく中で、老いてゆくことの大いなる自然と新たな生命の誕生を静かに受け入れてゆきたいという感覚が、私の中に育って切っている。

 

今日もこれから仕事にゆくのだが、まったくこれまでの人生ではあったことがないタイプの男性(専務取締役)との出会いが、(まだ2週間とはいえ)ささやかに私を活性化させている。久しぶりに刺激をもらえる、面白い男性に岡山で出会った。

 

人間は繰り返し不自然なことをするが、自然には無駄がまったくない。私は可能な限り、限りなく人間が創った世界ではない、自然な世界の方でこれからの時間をすごしたい。


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