ページ

2013-10-15

汗が出る体と、笑える体に感謝し、日没を体感する


秋の香り我が家のきんもくせい

今のところ週に4日ほどだが、働くようになってから生活のリズムがきちんとしてきた。18歳から働いてきたので(若いころ演劇の勉強をし、生きるがために、どのような仕事もいとわずやって来た経験は今この年になると、やはり大きい)

 

娘がこんなにも早く結婚しようとは思いもしなかったし、いろんないい意味で晩年の予定の変更を迫られることになったが、すべてを前向きに考えてゆく生来の楽天気質は持って生まれたものであるから、いたしかたない。

 

それにしても職場がこんなにも近いということが、こんなにも有難いというか嬉しい。家から車で10分で着いてしまう。やはり、夢が原は遠かったのだなあ、ということをつくづく実感する。

 

まだ働き始めて2週間だが、夢が原や若いころ富良野でやってきたことがかなり活かせるので、今のところ新鮮で充実している。自分でも年の割には身体が動いてくれるので、そのことが一番嬉しい。私としては天然フィットネスクラブで働いている、位の感覚である。

 

楽しんで仕事をしていると人にも伝わるのか、何とはなしに少人数の仕事場なのに笑いが起きる。なんとも人が愉しそうに笑わなくなったかのような、気味の悪い時代状況の最中、とにかく仕事中笑いあえる環境は、そうはあるものではない。はなはだ貴重な職場に巡り合ったものである。

 

下の娘が、家から近いしお父さんには合っているんじゃないと見つけてくれたのだが、感謝しなくてはならない。娘は娘なりに私のことを良く見ているのだということを、今回あらためて感じた。若いころは遠くをうろつき、晩年は近くをうろつく。

 

家族とか、仕事とか、友人とか、芸術や、文化とか、ありとあらゆることに関して、還暦を迎え、一応定年で仕事をおえ、この半年あらゆるリセットを、今も行っている最中である。こんなにも静かに物思いにふける時間を持てる今が、私には一番贅沢なひとときである。

 

娘が新しい家庭を持ち、時代の様相も日々刻々と時の移ろいと共に表層を変えてゆく。それが当り前なのだろう。死を含めあらがっても仕方がないことは無数にある。人間は考える葦であるということが沁みる。考える力を日々蓄えながら、働き学びたい。

 

昨日仕事を終え家に向かう途中の日没は、汗を流した身体に沁みた。

0 件のコメント:

コメントを投稿