我が故郷の素晴らしいリンゴ園 |
大雑把に61年間のこれまでの時間をふりかえると、生まれてから故郷で過ごした18歳までと、18歳から40歳までを過した東京での生活、そして40歳から岡山に移住してと、おおよそほぼ同じくらいの時間を経て、今現在を生きている。
悠久の太古からの歴史的時間に思いをはせる時、何とはなしに今ここにある自分の命の不思議に、いい歳なのにいまだ中学生のような感覚にたまにおそわれる。外見は初老の男なのに、内面はいまだに青い内なる幼児性のような感覚が、熾き火のように疼く。
ところで話はいつものように忽然と変わるが、今年は台風がやたら多い。おそらく私が思うのだから、多くの方は地球という生命体惑星が、この数百年の人間の活動の果て、気候変動という一点でかなりのダメージを受けている、差し迫っての現実問題に気づかれているのではないかと思う。
ではどうしたらいいのかということに関して、私も含めて途方に暮れているというのが、大方の方の、認識なのではないかという気がする、私もその一人である。昨日たまたま一昨日の書評を読んでいたら、新泉社から出ている本で、タイトルは繁栄の呪縛を超えて(貧困なき発展の経済学)
著者は、国連の気候変動に関する政府間パネルの会議(IPCC)に参加されている二人の外国の方。詳しく書いている時間はないのだが、地球環境は予想以上に壊れかけている衝撃的な報告書が公表されたとある。
猛暑、豪雨、竜巻、海水温の上昇によるマグロ漁やサンマ漁の異変、書評氏の中村達也氏も、何やら地球がおかしいという個人的な感覚からこの本を取り上げている。さていつもながら、乏しい頭と体で私ごときも考える。仕方がないという言葉は、私は苦手である。
著者の一人(P・フィトゥクシとE・ローランの共著)は、われわれが地球を理解するペースよりもわれわれが地球を変化させるペースの方が早い、と述べている。
またもや身体が重いテーマを書いてしまった、我が拙き朝ブログ。それでも穏やかに陽が昇って夜が明けてきた。妻も起きてきて一日が始まる。
悲観的になることはたやすいが、内なる自分の身体や心が灯すあかりを絶やさぬように、日々を送るバネを、お金に頼らず生きるための知恵を育てたいと願う、初老の私である。
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