祝い島の人々は素晴らしい |
毎日ではないにせよ10月1日から働き始めたことから、にわかに一日が早く過ぎてゆくように感じられる。あっという間に、ああもう13日かあ、という感じである。
オロと、祝の島上映会に向けて、私が情報告知に費やせる時間は限られている。むかしの私だったらいささか焦るのだが、3・11以後、私はほとんどあくせくあせらなくなった。何故なのかを説明することにも、億劫な自分がいる。
要は、淡々と自分なりにやれることをやれればいいのである。自分程度の器の人間でさえ、ささやかに企画し続けていれば、企画がやれるということを私は私なりのやり方で実践し続けてきた。この十年は地味でマイナーな作品、アーティストであればある程、企画したくなるという新たな自分が、歳を重ねるに従って育ってきているようにさえ感じる。
いわば、おのれの現在の歳相応の感覚に限りなく正直でありたいという、ただそれだけなのである。出来るだけニュートラルに、61歳の今だからやりたい、やれる企画をただやる。あらゆる理屈はさておき、愛や詩(死)について少数者の側からの視点で世界を眺め企画する。
オロや、祝(ほうり)の島に、量はともかく足を運んでくださる感性のお客様は、現代の時代状況では限りなく少ないかもしれないが、映画を創る側も、企画する側も、見る側もある種のギリギリ感(背水の感覚)の見えない所で繋がって成立するような世界を私は夢見る。
ギリギリという語感は何やら切ない響き、ちょっと気障ですが矜持、ギリギリから逃げず、そこでいかように踏ん張れるかというのが、センス、思案の(企画)しどころ、あまりいい意味では使われないかもしれませんが、限りなく道楽的企画者で在りたいと願う最近の私です。
さて、昨日妻の協力のおかげで祝の島チラシも完成。ヒダカトモフミ応援支援会員(約40人)に、ささやかな一気書きの一文を添えて発送しました。ようやく始まったという感じ。
ハンドメイド個人企画、封書作業も22年めに入りました。
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