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2024-10-17

娘たち家族と共に東京湾を横断し、フクロウハウスを訪ねる旅後半、岡山に帰って五十鈴川だよりに打つ。

 昨日朝、長女のリビングで打った続きを、頭が新鮮なうちにわずかでも打っておきたい。14日、フクロウハウスの近くの一軒家のリゾートハウスで目覚めた我々は、各々各自朝食を済ませ、すぐそばの海岸の砂浜散歩を済ませた後、孫たちの一番喜びそうなマザー牧場へと向かった。マザー牧場はじめて行ったが、山ノ上にあり敷地が広く、遠くに周辺の千葉の山並みや海も見渡せて解放感があり、要所要所には大木があり、歩くのに疲れたら木陰で休むことができて、単なる人工的なものばかりではなく、名前は忘れたが赤い花の絨毯には目を奪われた。

1才5ヶ月未彩の後ろ姿

我々老夫婦は、若い家族たちの付き添いという感じでお供したのだが、十分に楽しむことができた。連休最後の日で相当数の家族連れで賑わっていた。それぞれの家族が好きな動物にふれあい、乗り物に乗り楽しめた。お昼前に合流し施設内のレストランでお昼を済ませ、早めに各々帰路についた。妻は帰りは次女たちの車で三鷹へ。(妻は私より2日早く上京し、3日目、12日はノアの運動会を見るために稲城に移動、私は三鷹へ)は私は長女たちの車に。午後3時半に我々は稲城のマンションに着いた。

多くの荷物をマンションの10階の部屋まで、何回か往復したのだが、体がまだ動き役に立つ事のありがたさを思った。レイさんは途中コンビニで珈琲を飲んだくらいでずっと車を運転、大変疲れたであろうに、家族のためにたんたんと物事を進めて行く。荷物を運び終えその足で、長女とミア(ちょっと体調がわるかった)と3人で買い物に。私とノアは留守番。レイさんは買い物を終えレンタカーを返しに行った。レイさんタフである。

長女がすぐに夕飯の準備、ミアがグズるのでレイさんがほぼ付きっきりでケアーをする。夕飯ができて長女とレイさんが、なんとか少しでもミアに食べさせようとするのだが、具合の悪いミアはあまり受け付けずつぶらな瞳で泣き続ける。だが泣き続けながらも、ミアはどこか口が痛いのも我慢して好きなチーズだけは口にいれている。(その生命力に私は驚かされた)その時点では原因不明であったのでレイさんと長女は頭を抱え、じっと二人して耐えていた。

翌日15日、朝一番病院へゆき手足口病と判明する。原因がわかったので私もほっとした。重症ではなかったので、そのまま保育園に行くことができ、ひと安心。お昼もきちんと食べたとの報告をメールで受け、それを読んだ長女とレイさんの喜びようは親にしか感知できない、家族ならではのもの、その姿を見ていて、一部始終を目撃していたので私も嬉しく安堵した。

さて、15日平日両親は家でリモートワーク。ノアは運動会の振り替え休日、

レイさんがいつの間にか撮った

だが、ノアも14日夜から発熱し、これまたミア同様少し心配したのだが、15日朝には熱が平熱になっていてほっとした。だから遠出は控え、近場で私と午前中は稲城の図書館(ノアは本でもゲームでも空手でもレゴでも水泳でも好きなことには熱中する)に行った。お昼はノアとパンやさんに立ち寄りお昼用のパンを数種類買って帰り、4人で和気あいあいのパンランチ。昨夜の餃子やスープやレイさんの手作りピザの余り、キウイフルーツなどでとても美味しくいただいた。

午後、ノアと私はお昼寝のあと、お隣の若葉台まで文房具ノートを買いに行った。若葉台の大きな本屋のカフェでノアはアイスクリーム、私はコーヒーで小さな秋日和のデートを楽しみ午後4時半には戻った。

夕刻、仕事を終えたレイさんとマンションの近くにある保育園にミアを迎えに行った。本調子ではないが、すっかりご機嫌な昨日とは打って変わったミアがいた。夕暮れ、すすきの穂が揺れ🌖の月が瞬いていた。一番風呂をノアと済ませ、夕飯メインは秋の味覚秋刀魚の焼いたの、カボチャとチーズのサラダ等々、レイさんが私のためにハイボールを用意してくれていた。

夕食を済ませノアとミアが寝入ってから、レイさんがスコッチを連夜用意してくれた。レイさんは外国とのやり取り、時差があるので夕食後も2時間近く仕事をしていた。私は7時過ぎからサッカー日本対オーストラリア戦(引き分け)を観ていたのだが、最後のほう少しだけ3人でお話ししながら観た。床に着いたのは10時頃、こんなに遅くまで起きていることは最近まずほとんどない。とここまで書いて、16日昨日のことは明日の五十鈴川だよりに打つことにする。

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