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2024-10-27

先の上京の小さな旅、最後の日に日比谷で観た映画【2度目のはなればなれ】に突き動かされました。そして思う。

 映画館で映画を観るということがわたしの生活ではほとんどなくなりつつある。ほとんど動画配信である。インターネットをほとんどしないし、ましてこの一年新聞購読をやめたせいで、ちょっとオーバーだが限りなく隠者的な様相をおびたかのような、世間の流行り廃りに限りなく疎い、誤解を招くような表現だが、すねものてきな心の狭い老人になりつつあるのを、自覚している。

最近いつもわたしのそばで過ごす花
(でも気持ちがいいのだから仕方がない)

だが、当の本人はその事を、こうやって五十鈴川だよりをうちながら、どこか韜晦している趣といったようなあんばいで、面白がっている。

さて、先の小さな上京旅での最後の日、銀座の裏通りの小さな小料理屋で美味しいランチを一人済ませ、その後歩いて日比谷に移動、何年ぶりかの(永井画廊で藤原新也さんの個展を見たあと)映画を日比谷東宝で観た。

その映画のことはNHKのラジオ、金曜日午後9時からの高橋源一郎さんがパーソナリティーの飛ぶ教室にゲスト出演していた映画の字幕翻訳家戸田奈津子さんがお話しされていたのを、たまたま聴いていてインプット、知っていた。

題名は【2度めのはなればなれ】。せっかく旅をしているのだし、もうよほどのことがない限り、日常生活のなかでは映画館に足を運ぶなんてことは、(何せ情報を限りなく遮断しているのだから)なかなかないし、なんといってもずっと先輩であられ、映画の字幕翻訳家として尊敬している戸田奈津子さんが(たぶん88歳であられる)素晴らしいとおっしゃっていたので、なんとしても映画館で見たかったのである。(旅に出たら、韓国にゆくと必ず私は当地の映画館にゆく)

歩いて銀座から程近い日比谷東宝で封切られていたことも幸いした。ついてほどなく映画が始まった。原題はザ・グレイエスケーパー、直訳すれば大いなる脱出者である。これが戸田さんが映画の内容で意訳、2度目のはなればなれ、とした。このセンスに脱帽する。このようなことを綴り打つと長くなるので、いつものようにはしょるが、ちょっとだけ。

スマホで関心のあるかたは、予告編だけでも見てほしい。(いささか矛盾するが、こういうてんではスマホは本当に役に立つ、要は何事も使う人次第である)主演俳優、老優は英国が誇るマイケル・ケインとグレンダ・ジャクソンである。マイケルケインはこの映画でもって引退するとある。妻を演じるグレンダジャクソンは映画か完成したあとお亡くなりになった、と知った。

この二人のあまりにもの、何十年も連れ添ったかのような夫婦の絆、本当の夫婦の情愛表現のなんと言う細やかさと自然な演技、誇り高き英国人魂が香り立つ名演技に、私は心底感動し打たれた。昨日西田敏行さんのことをちょっと書いたが、改めて思う。マイケルケインやグレンダジャクソンもまた不世出の俳優というしか私には言葉が出てこない。

それにしてもなんと言う見事な老方というしかない人生を歩まれたお二人の表現力に、爪の赤でも学ばねばと言う思いが、老いゆくわたしの秋を彩る。このような映画が生まれる、作れる。やはりシェイクスピアを生んだ国の言葉のやり取り、老優お二人に当て書きされたであろう脚本の言葉の粋、ウイット、洒落っけがたまらなく素晴らしい。かっこいいの一言につきる。目指すべきはあのような老人の姿である。

ところで、グレンダジャクソンという俳優を知ったのは、ピーターブルック監督の映画マラサドである。映画の内容も精神病院でえがかれる(記憶が曖昧で申し訳ない)人間の存在の闇に迫る、当時の(26才英国遊学中にみた)私には、少し難しい映画であったが、グレンダジャクソンという強烈な存在感の名前は記憶にはっきりときざまれた。

その上その年、シェイクスピアの生誕地にあるストラットフォードにあるRSCシェイクスピア記念劇場で上演された、これまたピーター・ブルック演出のシェイクスピア作品アントニーとクレオパトラの、クレオパトラをグレンダジャクソンが演じていたのを私はたまたま彼の地で観ることができた幸運を、なんとしても五十鈴川だよりに打たずにはいられないのである。

まさに目撃した、タイミング、若かったからの何も怖くなかったからこそ出会えたのだと、いまにして思う。(孫たちには悔いな自分の足で直接自分の体で一回限りの人生をゆっくりと体感してほしい、これはおじじからのお願い、もっと言えばあらゆる情報は懐疑してほしい。要は自分の体で考えるということ)

なんと、あれから46年の歳月の後、88才の、黄泉の国、宇宙の彼方に旅立たれる直前のグレンダジャクソンに、またもや私は二度の再会をしたことになる。往年の立ち姿の風格のあるクレオパトラの姿と、老いた皮膚をさらしながら、凛として台詞を放つ姿に涙が押し寄せ、あまりにもかっこいい生き方と演技力に圧倒されたのである。

映画の終わりの方、介護施設(介護施設の職員の黒人俳優の女性がこれまたいい。出てくる俳優出てくる俳優が皆いい)のベッドの上で、老いた妻が戻ってきた老いた夫にキスをするシーン、、、。これ以上は打たない。野暮である。いい映画に説明は不要である。わかる人にはわかり、感じる人は感じる。なにかに殉じる生き方ができる人はし合わせであると、この映画は私に静かに語りかけてきた。


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