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2024-10-16

16日朝、長女の住む稲城のマンションで、岡山に帰る前、寸暇打つ五十鈴川打より。

 

東京に出掛ける前に剥いて干した

13日朝次女の住む三鷹のマンションのリビングで打っている。昨日朝起きてコスモスを摘み7時半の新幹線で東京へ。着いてすぐに、有楽町へ。コインロッカーがまんぱいで仕方なく荷物を抱え、銀座8丁目まで歩く。永井画廊での藤原新也さんの個展をちょっとだけのぞき、すでにしおれたコスモスとわが家のスダチを、藤原新也さんが居られたのでお渡しし、東京駅から次女の住む三鷹へ。懐かしいが、変わり果てた三鷹駅の近くの小さな韓国焼き肉のお店で、プルコギビビンバのランチを済ませ、バスでマンションへ。二時半頃に着くと、葉と周さんはお昼寝中、私もお昼寝にすぐ参加した。

16時半次女が仕事から帰ってくる。しばしのち、三台の自転車でちょっと遠くのスーパーまで食品の買い出しへ。終えてスーパーの近くのロイヤルホストで夕飯、なん十年ぶりかでロイヤルホストに入った。老人の私一人ではまずもって入ることはないだろうが、老いては子にしたがえである。葉が小さいので、まあ仕方がないのである。三連休お店は家族連れで混んでいた。私よりももっと年上のご老人夫婦も見受けられたが、私のように田舎から訪ねて来たのかも、と想像した。と、ここまで打ったら、葉が起きてきたので中断。これから葉と数字の勉強に付き合う。

姿を変えた丸太小屋、フクロウハウス

と、ここからは16日朝である。長女の住む稲城のマンションで今年から小学生になったノアを稲城南山小学校に散歩がてら送って行き戻ってから打っている。13日からの出来事を寸暇、時間までスケッチ風に打つことにする。

13日あれから、三鷹、稲城の2家族はそれぞれレンタカーを借り、私は次女家族の車に乗り、2日早く上京していた妻は長女の車に便乗し、東京湾を横断する道路アクワラインの入口に近い、川崎近くにあるコストコという大型スーパーで合流し、2家族の一泊2日の旅に必要な食料品を買い込む。おちびが3人いるので、とにかくあらゆることに時間がかかる。子育て真っ最中の2家族の日常に、老いた私は感心することしきりである。(その事は岡山に戻ってまた打ちたい)お昼はコストコの外で、買い求めたお寿司の多種類の詰め合わせをワイルドに、全9人で腹ごしらえをしてから、アクワラインに乗り込み対岸の千葉は木更津へと向かった。

3連休の2日目で相当の混雑渋滞を覚悟していたのだが、それほどの渋滞はなく、とろとろではあったが午後2時には木更津に入った。そこでちょっとアウトドア用品のお店に立ち寄り、15時半にHさんの待つ、今はギャラリーフクロウハウスとなっている我々が造った丸太小屋についた。あれからおおよそ37年、よもやまさかこのような形で、娘たち2家族含め計9名で姿を変えた丸太小屋と再会することになろうとは。私には感無量というおもいしかなかった。

私より10歳年長のHさんがしっかりと丸太小屋を守ってくれていた。その事が例えようもなく私を感動させた。いきなり私はHさんをハグした。いきなりこんなところに連れてこられた娘たち2家族はそのような私たちをどのように眺めたであろうか。

がしかし、やはり私の娘である。瞬時にあらゆることを受け止め、フクロウハウスに感じ入ってくれた様子であった。私は娘たち2家族をHさんに紹介することができただけでもう十分、他には言葉がなかった。娘たちはもちろん、夫もよく建てたねーっと感心してくれた。何より孫たち未来人が小さな丸太小屋ではあるが、十分に魅力的なフクロウハウスを気に入ってくれて、私は満たされた。Hさんシワが写るから写真は嫌だといいながら、全員での記念撮影もできて何度も私の胸中には熱いものが込み上げて来た。

その後5時過ぎまで、すぐそばのHさんのお宅に移動、これまた魅力的なお家で住居件アトリエの2階のお部屋からからは東京湾が見張らせる絶景で、娘たち家族全員歓声をあげていた。短い時間ではあったが、私とHさんはワインを開け再会の乾杯。これからは私はもとより娘たち家族がやって来ても、もてなしてくれるようにお願いし、また河合さんとやって来ることを約束してHさんとお別れした。

そこから車で約10分、今日の我々の宿、家一軒をまるごと借りている、リゾートハウスに着いた。海のすぐそばで小高いデッキからは東京湾が一望、お風呂も広く、寝室も3へやあり言うことなし、早速お風呂に順次入り、買い込んだ食料品で夕食を、わいわいガヤガヤいただいた。中天には🌓が浮かんでいて、我々を見下ろしていた。

午後9時前、大人では一番先に私が沈没、満たされたおもいをしっかりと抱いて、あっという間に、先に寝ていたノアのとなりで眠りに落ちた。(とここまで打って続きは岡山に帰って打つことにする)

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