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2021-05-05

移動自粛が喧伝される中、生まれ故郷に帰省して記憶の中の思わぬ人たちに会えました。そして想う。

GW、1日から昨日まで故郷に帰省してきました。少し躊躇しないでもなかったが、一向に終息の先行き不透明の中、お墓参りに帰省してきました。

帰省を決めたのは、やはり手術入院をしたからで、これから先は、私も含め兄たち夫婦、姉たち夫婦も高齢化するし、これから先、そうは何度も気軽に帰れる人生時間は残されていないと考えたからである。

思いついたら吉日という言葉がある。元気な命は有限なのだということを、頭ではなく体の芯から思い知ったので、元気に動けるうちに、悔いなくやりたいことをやっておこうという気持ちを抑えることができなかったのである。

手術前に度々帰省していたころの自分とは、やはり心なしか、変身した自分が生まれたような感じで、詳細を綴るのは控えるが少しだけ。

私には幼少期から世の中に出る前までの写真がほとんど残されていないのですがこの度の帰省で、姉から私と弟が亡き父と共に映っている小学生時代の写真と、母の写真をいただいたのである。(きちんと額に入れ傍に置くことができる)

その姉から、私が小学幸に上がる前近所にすんでいて、ともによく遊んだ記憶の中のU・Tさんという女性がいるのだが、私のことをよく覚えていてくださって、私に会いたいと帰省の折度々聞かされていた。

これまでは会う機会を逸していたのだが、今回はこの機会を逃したら会えないかもしれないという思いが強く湧いてきて、昨日の朝、姉に連れて行ってもらい、わずかな時間ではあったが、60数年ぶりの再会がかなったのである。

かすかな面影の残るU・Tさんは、亡き父の晩年によく似た私の現在の姿を確認すると、目頭を押さえて、よく来てくれたとことのほかに喜んでくださったのである。次回はもっとゆっくりと会う約束をして、名刺を渡してお別れした。

それとこれも小学校に上がる前、近所で伴によく遊んだ男子のH・T君とも60数年ぶりの再会がかなったのである。

長くなるので割愛するが、悔いが残る前に記憶の中に残る家を訪ねたところ、お兄さんが末子のH・T君は何とうちのお墓が見えるところに家を建て、今は奥様と住んでいて、私のことをきちんと記憶していたのである。

お互いおじいさんになっての再会ではあったが、元気に再会できたことをお互い喜び、しばしの感慨、感昂に浸たり会えたのである。

何はともあれ、この度の帰省でオーバーではなく奇跡的な幼少期の面影の方たちとの再会がかなったこと、五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。間に合ってよかったとの、きわめて個人的な思いに私は今浸っている。

手術前の私とは明らかに何かが異なり、以前の帰省では気づかなかったふるさと人の在り様の奥深さを感じることができたのである。

目に入るわが町はすっかり寂れ廃れ果て、表層的には無残なまでに様変わりしている。そのわが町を、術後の病み上がりの躰で、幼少期の記憶の原風景をたどりながら一歩一歩散歩、思索しながら歩いた。(歩けた)

再会できた面影の人たち、手術しなかったら会えなかったかもしれない。



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