貴重な梅雨の晴れ間、朝いちばん人気の少ないスーパーで買い物(コロナ対策)をして、簡単に朝食を済ませ、布団を干して自室の窓からの青空を眺めながら、気持ちよくパソコンを開いた。3日連続して五十鈴川だよりを綴ることは、久しく稀なことである。
さて、今日23日で退院して丸二カ月になる。やはりアウトドア、天の下での多様な体動きをする労働 (いやでもしなくてはならない)のおかげで、思ったよりも早く体の回復を感じている。三日連続して書けるほどに、気力体力が持続している。うれしい。
食にも気を配る様になり(野菜中心)判で押したように夜は早く床に就き、十分な睡眠をとり、目が覚めたら起きて、ゆるりと活動を開始、といった塩梅での決まりきった最低行動ライフが、今のところ功を奏しているのだと思える(かってにいい方向に考える)。
メディア報道はほとんど画面ではなく、文字報道を眺める程度である。ワクチン接種に関してもどこかゆっくり構えている。(何しろ妻以外とはほとんど言葉をかわしていない)外出時はマスク、家に戻ったら手洗いうがいは励行しているし、これでコロナに感染したら、運を天にゆだねるほかはない。
話を変える。昨日も天気が良かったので、午前中キンカンを妻と二人で収穫し、ついでに茂りすぎた枝の剪定をした。久しぶりに二人してのコンビアウトドア作業で、キンカンの樹がさっぱりして、枝と枝の間の風通しが良くなりすべての葉に陽があたる。人間も同じ風通しが良くないと病になる。
作業を終えて飲むお茶のひと時タイムは、まさしく 格別。こういう感慨が持てるのも、繰り返すがすべては体の機能回復のおかげである。キンカンを口にほうばり、直接ビタミンを補給する。五十鈴川だよりには書いていないが、2週間くらい前、放っていた玉ねぎも、何もしていないのに、十分に食べられる程度には収穫できて、連日食している。
わずかな大地の片隅で、実をつけるキンカンや玉ねぎや、ホウレン草やインゲン等々の野菜、春夏秋冬、季節ごとに母や妻が育て(時折私も)日々いただける生活、老いた胃袋に十分この上ないシンプルさ。仕合わせは平凡さを非凡に感じられるか、感じられないかで大きく変容する。
ほぼ三カ月、アルコールを口にしていない。手術しなかったら、以前と同じように飲んでいたのだろうなあ、と思うとまさに塞翁が馬である。人生はまさに危険な綱渡り、何が幸いするかは神のみぞ知るである。
ところで、妻は 五十鈴川だよりに書かれるのをことのほかに嫌がるので、ほとんど触れていない。いつの日にかは、私のような未熟者との連れ合いを長きにわたって、継続してくれたことへの感謝の思いを、生きているうちに言葉に託して、五十鈴川だよりにきちんと書き残して おきたい、がいまはまだ無理である。
今我が家の家の周りは、通りに面している塀にからむ見事な蔓バラ他、8種類くらいのばらがもうそろそろ終わりである。(ごめんなさい写真にアップできず)特に今年は挿し木から育てたバラが見事に咲いて、この数週間(いまも)我が家のいたるところに置かれ、芳香を放ち目を楽しませてくれている。(どうか想像力を駆使してください)
妻と私は、世代も生れ落ちた環境も性格もまるで異なる。でも出会って35年、何とか一つ屋根の下で生活している。妻は育てたバラを私の子供といっている。
再び話を変える。50年近く親しんだアルコールをアクシデントで手放し、身体が回復するにつれ、予期せぬ時間が転がり込んできた。これから、寿命までのいただいた時間をいかに生きるか、生活の質を変えたい私である。
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