わが故郷は梅雨入りをしたが、今朝の私の部屋から見える空模様は、明らかに梅雨入りまじかを思わせる。
コロナウイルス変異種が猛威を増し、岡山も緊急事態宣言が発令され、空模様同様先の見えない鬱陶しい日々を暗示している。
ほとんどは社会的な役割を終えつつある自分でさえ、生き物の本能として目に見えないウイルスへの脅威は、増すことはあっても減ることはない。
ただ乱世の今想うことは、あらゆる情報洪水の渦におぼれてはならないということ、浮き足立たないように、地に足をつけて基本的な生活を大事にすること。
手の届く範囲でできる今日一日の過ごし方をいかに工夫して、気分を上げる方策を考え、実践できるか、できないか、である。
不幸中の幸い、というと誤解を招きそうだが、あと一週間もすればコロナ渦中生活の中での手術入院から退院して2か月が経つが、この間、個人的にわが体の回復のことにのみ気がとらわれていて、コロナのことに気が及ばずにいたのである。
事程左様に、ヒトは置かれた状況において、日々の認識状況は異なる。この一年以上にも及ぶコロナ渦中生活の中での、予期せぬ先の手術入院のおかげで、以前にもまして、極めて当たり前の普通生活のありがたみが身に染みているせいで、非常事態宣言にもどこかしら、冷静に対処できている自分がいる。
が、そのような悠長なことなど言っていられない、まさに非常事態を生きておられる方々のことに思いをいたすと、暗然とする。だが、哀しいまでに事態は理不尽、不条理である。
何とか明日になれば、との一抹の希望をもって生きるしか私には方法がない。おそらくは大多数の方々がそのようなおもいだと思う。
だから、話を変える。手術して2カ月たち、思い切って弓を手にし自室で巻き藁をした。何とか数回引くことができたが、手術前の躰の感覚には遠く及ばなかった。だが引くことはできた。一人で引ける喜び。
手術前のコロナ渦中生活を支えていたと、いっても過言ではない弓の稽古時間。何はともあれもう一回、初心に帰って集中力の鍛錬のために、再開することにした。ただ、以前の様には無理をしないで、自分の体にあまり負荷をかけない稽古方法を考えたい。
傷口が完治して3ヶ月後くらいから稽古を始めようと思っていたが、予定を早めた。本数よりも継続。現在の生活の体に風を入れ、芯を通すためには、弓はまたとない思索時間を与えてくれる。
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