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2021-05-16

梅雨入りの雨音を聴きながら、五十鈴川だよりを綴る朝。

 例年より早く梅雨に入った。雨がやんでいたので先ほど運動公園にゆき、裸足朝散歩を少しの時間してきた。走っている人たちや歩いている人たちがわずかにいたが、運動場には誰もいなかった。車の中で裸足になり、場内の大地を5本の足の指で踏みしめるように歩く。

数年前、リア王を音読していたころから、冬をのぞいて春から秋にかけて、お休みの日気が向いた時に続けている。理由は特にないが、足の裏のツボを刺激できるし、指を開いて地面を踏みしめると丹田呼吸ができ、必然的に姿勢もよくなる。

15分も歩くと、足の裏の血行が良くなり、じんじんしてくる。足を洗い、丁寧に足の裏をもむように拭き、靴下をはき靴を履くとなんとも気持ちがいいのである。 

私にとっては気分が重い時の特効薬の効果がある。天を眺め、濡れた新緑を眺め、草花を眺め、ただただ地面を踏みしめる。面白きなきことを、面白がれる精神こそが、コロナ渦中生活で今の私に最も必要なことなのである。

若いころは映像(いまも古い映像他心が魅かれるものは見る)三昧にずいぶん時間を費やしたので、若いころとは異なる手ごたえのある老いゆくリアル時間を過ごしたいのである。

カッコつければ、個の(孤独)時間の充実をいかにして過ごし深められるのか、否かということの方に、重きを置きたいのである。

デジタル万能社会の恩恵も享受しながら、老いゆく我が身は、とりあえず今日動く身体に固執して、リアルワールドで、何よりも体が喜ぶことを見つけたいのである。

犬も歩けば棒に当たる、石の上にも三年、そのような来し方を自分はやってきたのだなあ、との感慨がある。艱難辛苦全部ひっくるめて、今となってはすべて面白かったと、とりあえず現時点で、五十鈴川だよりにしっかりと書いておきたい。

 

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