まあ、例えば起きても今朝などは、体が重く感じたりするするのである。でもまあ、私には五十鈴川だよりという、体調調節機能があるおかげで、どんよりと曇りがちなわが頭と体を、上向き加減にすることが可能である。
私だって生き物だから、ふさぎ込みたくなったり、エネルギーを放出して茫然としたりすることはあるのだが、そこは年の功と、健康のおかげで対処できる。今のところ、掃除やささやかな手料理、散歩、水風呂等々で、気分転換を図り、音読ほか集中しないとできないことに、まあカッコつければ挑んでいる。
あえて、身体が重く感じたりするときには、ゆっくりと体を動かし、体操感覚でごろりゆるりと、ただの15分でもわが体を動かしていると、何やら気分は上向いてくるのが経験上わかっている。
いろんな翻訳で読むのが愉しい、学べる。 |
一時間集中持続して音読することは、 この年齢になるとなかなかに負荷がかかる。酸欠になってあくびが出る。だが意欲の自己確認のためにも続けている。できる今を苦楽する。
ところで、先日のロミオとジュリエットの発表会で、音読輪読会のチラシを配った効果が、お一人ではあるが あった。連続して来られる方がおられるし、思いついて4回目が早できるのであるから、ちりも積もればの気持ちで、参加人数の多寡ではなく、良き時間を過ごしたいと考える。
還暦を過ぎて思いつきで始めたシェイクスピアの音読、はや7年目も半ばになろうかとしているが、身体は老いゆくのに、精神時間ははどこか時間が止まったかのように 、シェイクスピアの創造した言葉に、耳を澄ます感覚はいまだ深まっている。だから続けられる。
ヒトは呼吸を一瞬たりとも止められない器、呼吸を繰り返す。生きていることの始原の感覚、生まれてから息を引き取るまで万人に与えられた、それぞれの寿命は高貴の別なく、平等である。生きて今ある感覚を音読ををしながら、参加者と共有したい。
面白おかしく、時に大変悲しく在ろうとも、それこそがこの世との普遍は、あまねくシェイクスピアが全作品の中で、コトバに込めているところである。音のシャワーを浴びる。
ハムレットは答えのない問いを続ける。死の間際、最後の生き(息)コトバ、あとは沈黙。