花金ではないが、妻も私も金曜日の夜を共通して喜べるようになってきたのは、私が午前中の、私の現在ではこれ以上は望めないほどの、フリーター生活を昨年夏の終わりから始めたからである。
瞬く間に金曜日の夜がやってくるというような按配の暮らしを続けている。頑張り屋の妻には、もう仕事を続けなくてもいいのではと、声をかけたりもしているが、本人は60歳までは働くといっている。
(これからは一段とお互いの生活を尊重し、寄り添ってささやかに、よりよく老い楽力を高めてゆきたい)
だから、彼女の場合ことさらに金曜日の夜が、私以上にうれしいのである。ささやかに金曜日の夜は、共に翌日の朝を気にしないでゆったりと夕飯を味わえる事がまたうれしい。
人間の暮らしには、特に私の場合、何かにおわれるようないい意味でのストレスが必要、それが向上心につながるのではという、淡い期待がある。
それに対応するには、何といっても体力が勝負なのである、身体あっての気力である。
夕飯後たまにであるが、見たいTVなどもあるのだが、私も妻もとにかく体調維持を優先し 、一日よく動いてくれた体をいたわり横たわり、寝むようにしている。
大げさではなく還暦後、特にこの数年意識的に体をいたわるようにしている。そのおかげだろう、一日にリズムが生まれ朝の目覚めが実にさわやかである。
とくに午前中は老俊(春)を感じるほどに快調感がある。だからなのだろう、五十鈴川だよりを綴れるのは。睡眠の奇蹟というしかないほどに、7時間熟睡し今朝もおかげさまで快調である。
ところで、今日から急きょ二泊三日で上京することにした。今回はノア君には会いに行くが、娘のところには泊まらず両国に近いホテルにした。
出掛ける前の五十鈴川だより、何度も書いているが東京はわが青春の思い出が、ぎっしりと詰まった大都市、特にこの数年私にしか感知しえない思い出の土地、暮らした場所などに足が向かう自分がいる。
それは、きっと私がいい意味で老いてきたことと、今現在の暮らしに余裕があり、どこか幸福であり、ただ単に青春時代を振り返るのではなく、望晃くんの生誕と共に、ささやかに生まれ変われないにしても、今しばらくの元気な自分を持続するための、良きあがきのようなことをどこかに求めているからである。
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42年前三味線をもって歌う土取さんを誰が想像しえたであろう、すごいの一言。 |
ところで土取利行さんは私より2歳年上、私の青春時代に最も良き影響を勝手に受けた音楽家である。最初の出会いは25歳ロンドン。
最も尊敬する演劇人、ピーターブルック演出のユビュ王の舞台上での楽師として、パーカッショ二ストとしてである。(その後、氏のなした探究心尽きない仕事は、同志の桃山晴衣さんとの出会いで、ぐんぐん多岐に広がる。演歌のお仕事は桃山さんの道半ばの志を受け継ぐものである)
その出会いがなかったら現在の私はない。あれから間もなく42年、つかず離れず私は氏の多面的な音楽的追求の現場にそっと可能な限り足を運び 、非力を顧みず全力で、企画自主公演も数回実現してきた。
そして今また演歌のルーツ、源流でるの明治大正期の偉大な添田唖蝉坊・知道親子二代の知られざる歩みの全貌に迫り掘起こし、果敢にやむことなく前人未到の世界を突き進んでおられ、必ず案内を下さる。
武士の情けという言葉がある、友情という言葉もある。父親が言っていた情を大切にせよと。言葉にしたいが言葉にならない絶対矛盾 的な感情、氏ほど孤高を端然と生きておられる芸術家を私はほかに知らない。頭が下がる。
私にできることは、案内に応えて出かけるだけである。明日は氏の現在を眼底に焼き付けるつもりである。