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2018-04-04

12泊3日、稲城での孫との生活を無事に終え帰ってきました。

先週土曜日妻が稲城にやってきて、3日ほど娘夫婦のところでともにすごし、昨夜妻と交代する形で、西大寺に帰ってきました。

今夜は2週間ぶりに遊声塾があるので、一気に頭が稲城から岡山モードになれそうな私です。稲城だよりを読んでくださった方はお分かりかと思いますが、稲城では孫の望晃くんのおかげで、思わぬ意外で 経験したことのない生活をわずかですが送ることができました。
稲城の三沢川の砂州をおおった桜の花びら

望晃(ノア)君は、もうあと成長するだけです。私は下って老いてゆくだけです。そんな当たり前のことの不思議さを、いっぱい感じながら、まだ言葉を発しない望晃君と、限られた二人時間、私はひたすら対話を繰り返すことができました。

望晃くんの存在がなかったら、生まれてこない、かなわぬ対話です。無言の対話の中で、おじじは、実現するかしないかは置いといて、いくつかの約束を彼としました。

これは、私の中の秘密なので、この世からおさらばする時まで口にすることはないでしょう。初孫の望晃くんは、何やらこれまでの私の至らなさを変えてくれるのではないかと、(錯覚であれ)思えるほどに、まぶしく輝いて私を打ちのめしました。

私にとっては初めての男の孫、爺バカになるのをしばしお許しいただきたい。レイさんと娘には、孫を授けていただき、感謝の言葉しかない。

レイさんと娘が、すっかり瞬時にして父親、母親に変身していたのには、少なからぬ感動を覚えた。だから余計に考えるのである、おじじおばばとしての、つかず離れずの阿吽の呼吸での役割を。
レイさんが日曜日に生地から造り焼いてくれたピザ

今週末、妻が戻ってきたら、本格的に二人だけでの子育て生活になる。核家族での子育ては、やはり何かと至難である。私も長女を育てるとき、3歳までを親子3人で暮らした経験があるので、いくばくかがわかるのだ。

でも、娘夫婦の望晃くんへの接し方を見ていたら、その不安は吹き飛んだ。彼らは彼らなりに親になってゆくのだと安心した。

望晃くんの生誕で、私はおじじという存在になれた。感謝しかない。

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