人生で初めてといってもいい、幸福感に満ち足りた、穏やかでつつましく、静かな生活を私は妻と娘と共にこの団地周辺で送った。(もういい年齢だから厚顔に記すが、まさに掃き溜めに鶴ではないが、妻は垂涎とわが人生を、運命的に変えた人である)
稲城で調理の補助、これを機に楽しむことにしました |
4月1日、先週の日曜日の夕方、私と妻と次女と、次女のお友達の4人で 、26年ぶりにその団地のあった北烏山周辺を散策した。ずいぶんと変化はしたものの、空襲で集団疎開した数多くのお寺残っているあたりは全く変わっておらず、私と妻は、このお寺はよく散歩したねえ、と二人だけの共通の思い出に耽ることがかなった。
ひょっとして、望晃くんが、(稲城に生まれず)次女が(千歳烏山に住まなかったら
まるで極めて個人的唯我独尊的な、短編小説が成立するかもしれないと思えるほどに、一寸先の人生は、予期せぬ出来事が起こりうるのだと、この年齢になって確信している。
それは、闇であったり光であったり、どう転んでもおかしくはないとおもえるほどに、運命の神は、時に非情でさえある。悲しくも運命にふり回されながらも人は(私のことです)それを受け入れながら、生きるほかはない。
おそらく一難去ってまた一難、あらゆる試練が今後も、この先も時代の大変化の渦と共に、わが家族の上にも降りかかるのだろう。日々飛び込んでくるニュース、世界の悲惨な映像や出来事の中に、いつ何時放り込まれるのかまさに予断を許さない、そういう時代のさなかを生きているという認識が、かろうじて私にはある。
望晃くんたち家族を含めた、未来の世代の行く末を、ささやかに老いの小事の役目を、考える。カッコつけて、五木寛之大先輩に習い、青年は荒野を目指し、今また老年も荒野を生きねばならない苛酷な時代が、そこまで来ている気がする。
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