神谷美恵子訳、(素晴らしい)はじめて知りました。 |
妻が土曜日からGWに入るので、4泊か5泊はしようかと思案中である。いよいよもってこれからは、どこかしこに妻と出かけるのが、近い遠いは別にして楽しみな私である。
このようなことを臆面もなく書けるのは、おそらく私が戦後生まれであるからだ。思春期に観た、古きアメリカ映画の (シェーンとか、慕情とか、)またヨーロッパの国々のあの時代の映画の影響を多面的に受けているからである。
日本的な、湿った4畳半的な他者の顔色をうかがう文化ではなく、きわめて個人主義的な大陸的なドライな文化に感化されて育った自分がいる。日本人ではあるがどこか外国人でもあるかのような、引き裂かれてある自分を感じる。
話を戻す。妻は還暦までは働くといっているので、長い旅はまだ無理だが、あと数年経ち、 世の中に激変がなければ、可能な範囲で、ちょっと長めの旅もしてみたいものだとは、夢見る。
でも私はいつも思うのだが、実現するしないはともかく、見果てぬ計画を当てているときが、実は一番楽しいのである。
でもまあ、五十鈴川への帰省旅は、毎度のことながら、恒例行事のうれしさ、あと何回帰れるかと思うと、歳を重ねるたびにその重さは増してくる。繰り返し、オーバーだが死出への旅支度といった趣も、どこかで意識すると、ある種の重き感慨に体がつつまれる。
歳を忘れ、浮き浮き帰省できるのは、私のような愚弟を、笑顔で迎えてくれる兄や姉の存在があればこその帰省旅である。
兄に 妻と共に帰ると伝えたら、さっそく妻が行ったことがないような、宮崎から行ける九州の良きところを、次兄と共に予定を組んでくれている様子である。
この歳になると、親や兄弟、近しい血縁との暖かき関係性を築くのは、なかなかに難しい時代性といったものを私自身すごく感じてはいる。
が、幸いにしてわが兄弟は、幼かりし頃の大変な日々を密度濃く暮らしていた記憶の共有が大きいからなのだろう、歳と共に、経済的にではなく生活に余裕が出てきたからだろう、良き関係性が持続している。全員が健康であるおかげだ。
兄弟ではあれ、君子の交わりがその要である。年に数回くらいの帰省の、お互いの無事を祝えるいっときが、幸いである。
いつの日にかは、その兄や姉ともお別れがやってくる。その摂理の時に、うろたえないように、帰省の旅に兄や姉とのたまさかの、かけがえのない時間を今回も刻むつもりである。
0 件のコメント:
コメントを投稿