氏とは私が31歳の時に、富良野塾に入塾する前、北の国からのロケで使われた丸太小屋で出会って以来の、まさに君子の交友が続いている、奇特な年下の友人である。
彼は当時北海道大学で獣医になるべく勉学をされていたから、初志貫徹、現在に至っている。今も獣医師として地域に根を張り、酪農家の方々にとって、いなくてはならない 信頼感を得て活躍されている。
まったく私とは異なるキャラの持ち主であるからなのかもしれないが、つかず離れず、めったに会えないにもかかわらず、逢えば言葉をそんなに交わさなくとも、以心伝心何か通じ合える関係性が保てている。
それにしても見事なウドである、調理するのが楽しみである。 |
数年前、初めてボランティアをした大槌町を再び訪ねた際、久方ぶりに那須塩原市で途中下車 、旧交を温めたのだが、その際氏は、那須高原のそばを清流が流れる(露天風呂が素晴らしかった、いつか妻を連れてゆきたい)私を古い温泉宿で一晩歓待してくれ、一切を馳走してくれた。
朋遠方より来たり、このような私を手厚くもてなしてくれる交友はそうは存在しない。なぜ持続するのかは、私もわからない。
出会った当時私はすでに三十路を超えていたのに、ふらふらしていたのだが、氏は当時からにやにやと、老成感がそこはかとなく漂っていたが、どこかに少年っポさも残っていた。それはあれから随分と歳月が流れたにもかかわらず、今も残っている。
だからなのかもしれない、交遊が持続するのは。それと全く余計ななれ合いがなく、互いが自立した世界を(私は別にして)彼がどこか一歩引いたところから、私のやっていることや、やってきたことを、冷静に鳥瞰的に遠巻きに眺める余裕、視点を持っているからだろう。
中世夢が原で夢中で企画していた際、子育てしながら何度か資金的に困った際、友人知人に厚かましくもカンパを募ったことがあるのだが、いつも氏は 遠方から私を支えてくれた。
真の意味でまったく利害のない 君子のごとき氏である。10年ひと昔ごとに、友人関係も賞味期限のように、切れたり変遷を余儀なくされる。そういう摂理を自然に受け止めるように、歳のせいなのかなってきつつある。
そのような中で、先日の稲城での上京で、あらためて大事にしたいと思える関係性が、にわかに再燃してきた友人もいる。
それはなぜなのだろうかと、考える。 きっと私が変わってきたのだろうと思う。それによって、これまで感じなかったこと、見えなかったことが、より深く味わえるようになってきたからではないかと。
ともあれ、【ウド届き・友の情けに・ふるえ慄く】I氏にわが五十鈴川だよりで感謝を伝える。
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