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2017-02-08

NHKで倉本聰先生のプロフェッショナルを見る、そして思う。

NHKのプロフェッショナルという番組で、倉本聰先生が取り上げられていた。この時間帯はまず起きていないので録画して昨夜妻と共に二人でゆっくりと視た。

妻と私が出会ったのは富良野塾卒塾後、当時私は34歳になっていたし、妻は演劇や文化的なことにはほとんど接することなく育ってきた、私にしてみればこれまで出会ったことのないタイプのきわめて普通極まる女性であった。(それが私にはとてつもなく新鮮であった)

それまで私がどのような人生を 歩んできたのかにもほとんど知らなかったし、知ろうともしなかった。妻は私と違って口数の少ない女性である。その妻がしっかりと番組を見ていた。

長くなるので話を端折るが、倉本先生の番組を見ながら、富良野での足掛け3年に及ぶ青春の最後を過ごせた時間の重みを感じた。あの富良野は麓郷の谷で過ごした記憶が(封印していた)まざまざと蘇ってきた。

間違いなくあの富良野での生活が、私自身のその後の生き方をまったく変えてしまったのだということが、改めて自覚できた。

人生の座標軸の価値観がまったく変わってしまって、都会では生きられない体になってしまったのである。

ただただ体を動かして知恵を働かし、何とかして精神のバランスをとっていたあの谷での生活は、まっとうに生きることの大切さ、面白さを私に知らしめたのだ。

苦しいといえば、あらゆる意味で、あれほどに追い込まれた経験はないのだが、今はただただあの塾を卒塾できたことが、ささやかな私の青春時代の誇りである。

倉本先生は私と同じような年ごろ、東京から富良野に移住しているが、考えると私も40歳で岡山に移住している。

大先生と比較するのもおこがましいが、何かを捨てた果てに何かと出合うという人生の妙。何かに導かれるということがある、と折々私は感じている。

昨年暮れ、岡山で倉本先生の講演会があり、卒塾式以来お目にかかって、(10年ぶりくらい)ほんの少しお話ができたのは本当に良かった。そのことを今五十鈴川だよりに書けることがうれしい。

今の私の生活をお話したら、それなりに受け止めて喜んでくださった。もうそうはお目にかかる機会もないだろうから、何としても元気に生活している私の姿を見てもらいたかったのである。

人間は自分自身という、(自分で創ったものではない気づいたらいるのが自分という存在だ)存在から逃げることはできない。

いやでも応でも逃げられない、あの谷で過ごし自分と向かい合った時間は、とてつもなくかけがえのない時間であった。

卒塾して31年、いまなお元気に生きられる知恵や工夫はあの谷で培われたのである。



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