昨日建国記念日 を朝から薪づくり、午後はちょっと竹韻庵で過ごし、夜2時間初めて徳山道場におもむき、人生で初めての弓の入門稽古をした。
チェーンソーで伐った薪を妻と母がきれいに積んでくれた |
そのことをほんの少し、五十鈴川だよりに書いておきたいのだ。寒げいこというしかない、深々と冷える環境での稽古、空には満月。
詳細は省くが、道場主が弓のつくりから、徳山道場に伝わる古式の作法に ついての説明がなされたのち、弓は持たず構えから弓を放つまでの型を、途中休憩を挟んで指導していただいた。
まったく白紙からのスタート。ひたすら先生の言われる通り取り組んだ。何ももっていないで、型通りにやろうと思うのだが、身体は全く思うようには動いてはくれない。
これから、毎週一回弓を持たずに型の習得に励むことになるのだが、初日の稽古を終えて思うことは、65歳(明日)にしてまた何やら 励みになる目的ができたことがうれしいのだ。
弓道はシェイクスピアの言葉を声に出して読み続けてゆきたい私としては、土を耕すことも含めて、あきらかに私のこれからの生活に良い影響をあたえてくれそうな予感が持てた、(だから始める)寒の入門稽古となった。
昨日は結構ハードな一日だったので、つい先ほどまで寝ていたのだが、弓道はこれまでの人生では使ったことがない部分の筋肉を使うのだろう、身体のいたるところの筋肉が気持ちよく、痛い。
痛いということは、まだ使っていない私の体の筋肉がいたく刺激されたからだろう。体というものは年齢と共に老いてゆくものではあるにせよ、そのわが体をいたわりながらも、甘やかさず、何か真摯に自分と向かい合える時間を大切にしたいと、切に願う自分がまだ存在する。
思いついたらまずは吉日、とにもかくにもまずは続ける気持ちが深まった初日の稽古となった。
私のほかに若い女性が(私より半年くらい先輩)一人いて、先生が二人で指導するという贅沢さでの稽古であった。弓の世界を通して、いまどき珍しい風趣のある子弟関係性が垣間見え、厳しき中に居心地が良かった。
昔から師を選べというが、岡山の地にこのような由緒ある道場があるなんてまったく知らなかった。日本人の一人として面目ない思いにとらわれる。
それもこれも 娘婿のれい君が、徳山道場の門下生であることがなかったら、おそらく私は生涯日本の弓の世界に触れることはなかったかもしれない。
そのことの不思議さに思いをいたしながら、冷え切った体を温めるべく厳冬の満月下をあるいた。
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