若いころと違って、すべてがゆっくりとした動きで何事もするようになってしまっているので、まあそのように過ごしているわけなのです。
午後おもになにをやっていたかといえば、発表会のチラシの折り込みとあて名書き、新聞をじっくりと読む、恋の骨折り損の王様のセリフの声出し、最後に読書などをしていたら妻が帰ってくる時間となる。
雨の日は、洗濯物を家の中の中の二階に干し、下で薪ストーブを焚くと暖かい空気が二階に流れ乾きが早いし、誰もいない家でこまごまとしたことをやりながら、ストーブのそばで過ごすのは私の冬の楽しみの一つ。
そのための薪づくりの労働は、身体が動く限り続けたいと願っている。それから昼食を気ままに一人で作って食べることも楽しんでいる。
今は亡きこの方の本愛読しています |
昨日は、竹韻庵で私が種から育てたわずかなネギを 、イノシシが踏み荒らして、無残な姿をさらして放置されていたネギを持ち帰り、よく洗って、ホウレン草や、てんぷらの残りのほか、冷蔵庫のありあわせ具材を入れ、煮込みうどんを作って食べた。
最近は煮干しとかつお節できちんと出汁をとって作る様にしている。
これが塩、しょうゆ、みりん、お酒などの塩梅で、びみょうに味が変わるし、ときに削り昆布も入れたりすると、抜群の味になり、時間があるからできることを楽しんでいる。
何事もまずは、楽しめる心と体がないことには始まらないという大前提があるのは言うまでもない。使ったお鍋や食器をきちんと洗って、片付けをしてお茶をして午後の時間に向かうのだ。
基本的に朝が早い私は夕方6時以降は、頭を使う仕事はほとんどしない。体を休ませる。夜、週に二日の声出しレッスン日と、土曜日の弓道日は(まだ2回しか行っていないが、すごく新鮮)はこうはいかないが、基本的に夜はひたすら体を休める。
休まない体からは、何事も生まれてこないのだ、特に私の場合は。テレビもよほどのことがない限り見たくても観ない。体を休ませることを優先する。
睡眠が満ち足りれば、おのずと目は覚め、身体がその日の過ごし方を決めてくれるのである。私の精神は、身体が気持ちのいい方向に導いてくれるのである。
体や気持ちが欲しないことをいくら頑張っても致し方なく、65歳を過ぎ、いよいよこれからは 体や心にできるだけ忠実に過ごしたいと思う私だ。
いたずらに体を甘やかさず、少々の無理をしつつしっかりと体をいたわる暮らしを心かけたくおもうのです。時間は有限であります。もうすぐ春、今日も雨上がりの土の匂いを嗅ぎにメルと共にちょっと竹韻庵にゆき、夕方までの過ごし方が決まったところで、本日の五十鈴川はこれにてお開き。
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