昨日はバレンタインデーであった。家族以外からのチョコをいただけるなんてのは私には無縁だと思い込んでいたが、思いもかけない意外性の極みのような方から小包のチョコが届いた。
出会ったときは83歳、今現在86歳になられ、厳冬期のいまはカルチャー教室のレッスンをお休みしているUさんからであった。
カルチャー教室での最初の2年間、二人きりでずっとシェイクスピアを読んでいて、きっとこのままでは生徒さんはUさんがレッスンに来れなくなったら、教室は閉じることになるのだろうとの覚悟をしていたのだが、そこに忽然と、昨年春の発表会に来られたMさんが、私もシェイクスピアを声に出して読みたいとやってこられた。(やはり希望は持つもの、そして作るものである)
生徒さんがもう一人増えたことを最も喜んでくださったのがuさんであった。ほぼ9カ月昨年暮れまで、3人でのシェイクスピア遊読が淡々と続いていたのだが、厳冬期の今uさんは安心してお休みをしているのである。
以前、Uさんのことは五十鈴川だりに書いた。自分がいつまでシェイクスピアを声に出して読めるのかはわからないが、Uさんには決して無理をしないようにと、いつも言っていたのである。
それにしても、私はいたく感動する自分がいる。あのご年齢でシェイクスピアを声に出して読もうと思うだけでも、大変なことである。
遊声塾もそうだが、カルチャー教室の講師を依頼されたり、私塾を立ち上げたりしなかったら、Uさんにはお会いすることはなかったであろう。
Uさんは今の時代の限られた私の生活範囲で、毅然と、私が憧れるお手本の高齢者生活を 送っておられる貴重な方である。
頑固なまでに、おのれのライフスタイルをキープする矜持をお持ちの方である。安きに流れることがほとんどのわが周囲の(そのことに気づいてさえいない)ご高齢者たちとは一線を画している。
Mさんが参加されるまでの2年間、一人の生徒さんとのシェイクスピアを読む時間は 本当に私にとっては大切な時間であった。(Mさんは春から遊声塾にも参加される)
Uさんが春から復帰してくるまで、Mさんと二人だけでの【リア王】遊読を続けているのだが、0と1の違いをいつも私は深く受け止める時間を生きている。
数では量れない、他者との、熱い言葉の交換は、なんと現在の自分を奮い立たせるものであるかということを、UさんやMさんから教えられるのある。(他者と名セリフを歌うように声を出すことのなんという喜び)
ところで、【リア王】はリアの最晩年を描いた、文句なしの大傑作である。声が出る間に何とかして発表会をしたいと思っている。
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