昨日と同じくらい今朝も暖かく、先ほど砂川の最近よく散歩するコースを歩いたのですが、(言葉を発しながら)なんともはや気持ちよく、とある家にはしだれ梅。土手には菜の花などが咲き乱れ、そこかしこに春を見つけられ、わが体はそのいちいちに反応しました。日高も歩けば春が映る。
昨日はことしになって初めて、竹韻庵で冬の間に開墾した際に採りだした、あらゆる大きさの竹の根の大部分を焼却しました。乾燥した竹の根は実によく燃えました。最後にブロッコリーと春キャベツを収穫しました。
昨日は啓蟄,漸く春がやってきたことを実感するまさにその一日でした。64歳のわが体も何とはなしにそわそわしてくるのがはっきりと自覚できる節目の一日でした。生き生きと体が動きました。
竹韻庵から戻って、外で妻と母と3人で簡単なランチ、体を動かした後のごはん、最高にうまい。八朔の樹の木陰でのランチは、これから度々することになりますが、レストランのランチなどにはゆかずとも、晩年時間を過ごすには最高の我が家のランチスペースなのです。
妻が週末楽しみに管理しているガーデニングですが、いよいよこれから花々が咲き乱れるます。あやかれる私の眼もうれしく、五十鈴川だよりを書きながら愛でられるかと思うと、小さき福に満たされます。
生まれて初めて植えたブロッコリーと春キャベツ収穫しました |
昨日も陽の長くなった夕方2時間ほど妻と母と3人で庭で過ごしました。私はチェーンソーで樹をある程度の長さに切り、斧で割りました。
チェーンソーで伐るとたくさんのおがくずが出ます。つくづく母を見ていて感心するのは、作業を終えた後の後片付けがきちんとできるということです。私がするといっても聞きません。
きちんと整理整頓された庭はなんとも気持ちがいい。一見簡単なことのようなことの積み重ねが、人間性を豊かに育むための基礎であることを母を見ていて如実に感じます。凡百の理屈より、一つの実践に優ものなし。
母は腰が痛いといいながら、止める私の言には従わず体を動かし続けます。役に立つ間は何かしたいと動きます。人は何のために学ぶのでしょう。学ぶ基底の根本とは。
私もいたく反省します。何か役に立つことのために、いよいよこれからは人生時間を有効に母を見習ってゆきたいものと、しきりに思い始めています。 小事を耕し、小さきを大事に生きる。
昨日はポットにネギの種をまいたりもしたのですが、さあ、芽が出てくるのを春の雨の水の神様に祈るばかりです。人間のやれることはほんのちょっとです。
0 件のコメント:
コメントを投稿