長寿社会が喧伝されているご時世だが、果たして長寿とは。他人とは比較しようもないので(する気もさらさらない)ただただ、私は自分の年齢を(初めて経験する)生きている。
時折私の知っている同世代や、それ以上の間接的に影響を受けた年齢の方々の死が報じられると、生きて在ることの当たり前のことが、まったく当たり前ではないことが痛切に感じられる。
死を身近にとまではいわないが、以前にもまして何気ないことに、心身が反応するようになってきたのを感じる。初老男はいまだ思春期ではなく老春期の真っただ中といった塩梅。
願わくば・桜のもとにて春死なん・その如月の望月のころ(うろ覚えです、おとといの夜は満月が美しかった)という歌などが、初老になればなるほどしみてくるようになり、ふらり初老男は見果てぬ徘徊旅をしたくなるというわけだ。
だが、その願いは発表会が終わらないとかなわないが、空想の旅は可能だ。桜の花はいやがうえにも、いろんなこれまでの人生の記憶を呼び覚ます。
竹韻庵のソメイヨシノ |
以前小学6年生の時一年間だけ父の仕事で赴任した宮崎の日の影の美々地小学校で、私ら家族は(両親と私の4人)桜ヶ丘という地名のところの炭住といわれる長屋に住んだ。
地名の通り長屋周辺は桜が咲き乱れていた。わずか一年でその地を離れたが、 その数年後、美々地に在った槇峰銅山は閉鎖された。
その一年間の体験は今に至るも私の人生にいろんな影響をあたえていることを今も感じる。数年前その美々地小学校も閉鎖された。
美々地から転向し、私が中学校 を3年間過ごした都城市に近い(車で40分くらい)山の中の四家中学校も現在は廃校になっている。(昨年同級生で結婚したIさんご夫婦に40年ぶりに再会した)
18歳春、井の中の蛙が上京し、最初に通った貝谷芸術学院の入口にも見事な桜の樹がった。あれやこれや書いていると、次から次に少年期から青年期にかけての個人的な体験の記憶が呼び覚まされてくるが、そのようなことを五十鈴川だよりに書いても、いささかせつない。
いいしれぬささやかな空洞感、欠落感めいたものが自分の中には、ほんのわずかだが心の中に深くしまい込まれているのを感じる。
思春期から高度成長経済に突入、バラバラの人生を歩んだわが姉や兄たちに時折無性に会いたくなる。ばらばらになる前の幼少期体験を共有している黄金の思い出が、いわば私たちを結びつけているからである。
ところで【間違いの喜劇は】一族が再会する話である。一人で全幕を読むという無謀な試みは、 きっと何かの欠落感が私をして何かにいざなわせているのではないかという気がしている。
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