5月1日午後2時、怜さんのお父さん家族が我が家にやってきて、先ほど我が家を後にして旅立ちました。
この丸5日間の怒涛のような我が家での滞在の記録、わずかでも記しておきたいが、とにもかくにも我が家にとってのビッグイベントは無事に滞りなく終えたことで、なにゃら気が抜けたような、一抹の寂寥感が、私を襲っています。
がしかし、今夜から遊声塾のレッスンも始まりますし、頭のスイッチを切り替えるべく約2時間すべての部屋を掃除してから、何か書かねばとブログしている次第。
1日は午後2時について、空港からまずわが家へ 。少し休んで宝伝の海へ行き、なぎさを散策。ドレスデンは海がないので、お父さんのペーターさんは海が大好き。宝伝から牛窓に移動。
牛窓のオリーブ園から日没を眺めて家に戻り、初日の歓迎夕食会。妻と母と娘がささやかにすべて用意したお料理が食卓に並ぶ。娘の友達のイボンも入れ、10名でのなんとも楽しい夕食会となった。
2日は四国は鳴門まで出かけ、渦潮と栗林公園を観光、行きは瀬戸大橋、帰りは宇高連絡船で、夜は車すしでの夕食で締め。2台の車で往復した。
3日は、牛窓神社に詣で、海岸べりのピザハウスで昼食、その後別行動。夜は宮崎の兄姉6人との夕食会。怜君の家族と宮崎の兄や姉たち夫婦は初めての出会い。和気藹々いい感じでの楽しく時間が過ぎた。
4日の、12時から2時間今回のメインイベントの怜君と娘の 結婚報告会。雨が上がって本当に良かった。18名の参加者、親族以外では、ただ一人岡山大学の怜君の恩師が参加して下さった。
私が進行を務め、両家の出席者の紹介は新郎新婦がそれぞれ行い、馴れ初めほか、恩師のN先生が怜君の人柄、岡山大学とドレスデン大学の交流の由来やげ現在のことなど、歴史的なことなどを絡めながら、ユウ―モアあふるるスピーチをしてくださった。
すでに昨年ドレスデンスタイルの結婚式を済ませていたので、きわめて簡素にささやかな儀式ではあったが、参加者の心のこもった雰囲気が醸し出す 暖かい記憶に残る、親としては大満足の報告会となった。
怜君はこの日のは日本人スタイルで紋付羽織袴姿、とても板についていた。娘は振り袖の和服姿、ドレスデンとはまた一味違って見えた。
その後後楽園に移動、記念撮影をして、滞りなく 親族による結婚お披露目会を無事に終えた。
夜は娘たちとお父さん家族は友人たちによるパーティに参加し、私たちは宮崎からの兄姉夫婦を我が家に招き、久しぶりににぎやかに歓談の宴をもって終えた。
5日、怜君とお父さんたちは広島を観光(原爆ドームや宮島を)。私は兄や姉を見送り、お昼からは最後の夜なので、疲れ果てていた妻に替わって、私が最後の晩餐にカレーを作った。
7時近く帰ってきた怜君たちと、ささやかに締めの夕食と歓談。10時近くにお開き。6日朝7時半、彼らは京都に向かい、我が家に静寂が戻ってきたという次第。
時折の儀式が、かくもなかなかに会えない人たちを結びつける、今年のGWはこれまでに経験したことのない感情が、私の中でしっかりと確認できたGWとなった。
82歳の母が、鳴門の渦潮、栗林公園で見せた童女のような姿が瞼に浮かぶ。老いてゆく中での人間としての役割ということのお手本をまたもやあらためて教えてもらえた気が今している。
若い人たちの幸せそうな姿を、見ることができるということの 喜び。妻の姉夫婦とも久しぶりに歓談できたし、姉の長男も立派になって参加してくれた。
ともあれ、異国に親戚ができたことは、言うに言われぬ希望の光が我が家に差し込んできたような思いに今私はあらためて とらわれている。
おめでとうございます。「家族」が増える、と言うのは 楽しいことですね。
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