氏はアサヒビールにお勤めである。私が地方版のスーパードライの新聞CMに起用 されたことが、出会いのきっかけ。
私が手に余る企画をした際、一番最初に協賛の努力を上司に掛け合ってくださった方である。いろんな意味で、氏との出会いの大きさは今も痛感している。
その当時の私にとっては、野外での大きな企画は協賛スポンサーなくしては成立しなかったからだ。これは、お金を集めることに奔走したものならば、皆覚ることだと思うが、企画を実現するためには、まず応援協賛金を集めることから始まる。
私の企画のほとんどは、友人知人の協賛金によるが、唯一の例外がアサヒビールなのである。氏は謙遜するが、私にとっては恩人の一人である。
このことは、ブログではなくいつの日にか、氏との出会いをつづれたらと思っている。さて、私が企画をしなくなってからも、緩やかに氏とのお付き合いは続いているが、氏の方からのお誘いは初めてのことであるから、私もうれしかった。
それもわざわざ、西大寺まで来てくださったのである。氏は現在48歳だから、出会ったときは28歳ということになる。息子の 怜君くらいの年齢だったわけだ。
我々は西大寺の家の近くで落合、家に立ち寄る前に、そく畑にむかった。氏が是非畑を見たいといってくれたのだ。
畑仕事を初めてまだ2年にも満たず赤ちゃんのような私だが、 ともあれ私の開墾した畑を見てほしかったのである。
この季節、雑草との戦いが続いていることはたびたびブログで書いているが、驚いたことに氏が雑草を抜きを、短時間ではあるにもせよしてくださったことに、私は感動した。
初めて私以外の人が雑草を抜いてくれました |
オーバーだが、氏もそれなりの20年間を生きて、我々は再び所を変えて畑で再会した、との感慨に私はとらわれた 。
畑から我が家に移動、ささやかにアサヒビールで乾杯し電車で岡山へ。車すしでゆっくりととしたひと時を過ごした。二人きりでこんなにも長く語り合ったのは初めてのことである。
あらためて、氏のじんわりとした人柄、寡黙なやさしさが私にも伝わってきて、私も時折ジーンときた。
そして、かなりいい気持で酔いが回ったころ、氏の口から出た言葉が私を驚かせた。毎週は無理なんですが、月に一度でもいいから遊声塾に参加したいと、氏は言ったのだ。
意外(といっては失礼だが)な申し出に私は、静かに素直にうれしかった。県外塾生の初めての参加、氏は先月の遊声塾の発表会に来てくださった。
そのことがなかったら、きっと参加はなかったに違いない。何かが氏の中でうごめいたのだとしか思えない。(まるでシェイクスピアのセリフのよう)
ともあれ、氏は覚悟して決めたのだ。これで遊声塾はもっと個性あふるるにぎやかな塾になる。生きていることは、未知との出会い、自分との出会い。
氏は27日が初めての参加になるが、キンドルで 間違いの喜劇を読み始めているにちがいない。
短い人生の中での豊かな心からのつながりが成熟するには、きっと20年の歳月が我々には必要だったのだと帰りの電車のなかで私は思った。
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