昨日5日は亡き父の命日打だった。畑にいてもネギの皮をむいていても、思わぬネギの注文をいただき運転していても、終日父のことをよく思い出した。
たびたび私は父に向かって、おかげさまで何とか家族全員元気です、と語りかけた。私の中の父の姿で一番思い出すのは、やはり碁を打っていた姿である。
私は父のように娘たちに何かしらの残像を残すことができるだろかと、たまに最近考える 。まあ、私ごときのことなので、大したこともできないしありのままの自分を、今後はいよいよ、もってさらしながらの人生をよたよたであれ、歩むほかはない。
私は碁がわからない。まったく打てない。そのことを今頃になって少し残念に思う自分がいる。なぜなのかを書くと朝のブログではとてもl無理なので割愛する。
打てないくせに我が家には、碁石と立派な碁盤がある。亡き父が一番使っていた碁盤を何故か私が譲り受けたのである。いわば私にとっての家宝のような碁盤で、栢木の素敵な香りが未だに匂い立つ、一品である。
怜君が囲碁に関心を持っているので、いずれは怜君に使ってもらえればとも思うが、怜君が囲碁を打っていたら、父もきっとあの世でびっくりするだろう。
亡き父が残した、笊碁(ざるご)人生という、地方紙に31回連載した小冊子が手元にある。あとがきの最後に平成8年9月とある、父が79歳の時に書いた文章である。
父はその文章を書いた数年後に亡くなったので、糖尿病に侵されながらも気力を振り絞って書いたのだということがわかる。家宝の小冊子。
淡々とした平易な文章だが、私も年を重ねるにしたがって父の残してくれた文章が心にしみるようになってきた。時折ひも解いては、今を生きる私自身の支えとして重宝している。
ますますもって、父のように生きてゆけばいいのだという指標が私の中の深まってゆくのを感じる。時代とはそぐわなくても、折り合いをつけながら自然体で生きる。
晩年わずかな囲碁仲間と母との時間を、何よりも大切に生きた父の後ろ姿は私の脳裏にくっきりと焼き付いている。私が若気の至りで世の中に出てからのち、何とか道を踏み外さずに生きることができたのは、やはり父の教えがあったからというほかはない。
しみじみと思うことは、親は選べず、私は良き両親に恵まれたのだという ことに感謝の日々である。これからの人生時間(父の年齢まで生きるとして)父の笊碁人生は、私のこれからのお手本として随時ひも解くことになると思う。
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