岡さんからのコメントで、ニキ―タ・ミハルコフの、太陽に灼かれて・戦火のナージャに続く三部作完結編がいよいよ、来年封切られるとの情報コメントを頂きました。
私はもうほとんど映画や舞台そのほかの芸術や芸能作品は、よほどのことがない限り足を運ぶことが少なくなりました。それは娘たちを育てることが生活の中心になり(そのことが愉しく面白かった)御こずかいが、そちらの方には使えないという現実的な要因もあるのですが、もう充分に一生分すでに観た、聴いたという思いで満たされているからではないかという気がしています。
20代の感性が最も柔らかい時に、たくさんのすぐれた作品に巡り合えた幸せ、そのことにいま持って大感謝しています。だからこそ、ゆったりと、安心しながら枯れつつも生きて大地のリアル画面に向かっているのではないかと、考えています。
それと私の感性が、今の時代にそぐわないということもありますね。40歳で都会から田舎にひっこしを決めたときから、主に都会(的感性)でつくられる興行的な作品には興味を無くしてきたことも大きいと思います。(そんな作品ばかりではないことは重々承知しつつ)
この22年間、私はそれまですでに出会ったすぐれた文学・およびあらゆる芸術作品の数々に支えられて生きてきたし、今もそれらの作品のおかげで生きているとい言ってもオーバーではないと思うくらいです。
しかし、ニキ―タ・ミハルコフの新作は何としても、きちんとした映画館でしっかりと何度でも見たいいですね。岡さん知らせてくださってありがとう。私がまだ東京にいたときに、シェイクスピアシアター時代、20代の後半、時代はまだソビエト社会主義連邦と言っていだ時代、その当時、(の時代の)ソビエトの映画を見る機会というのは東京でもほとんどなかったのですが、何故か今でもはっきりと思いだしますが、東京の千石の三百人劇場でソビエト映画の特集があり、そこで私は、機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲、(なんともすごいタイトル)という(原作はチェーホフ)フィルムを見ました。その監督が忘れもしないニキ―タ・ミハルコフだったのです。
そのフィルムは、私のソビエト映画にたいするイメージを一新しました。瑞々しく詩的で、抒情性に溢れ、ユーモアがあり、人間を見つめる目線が、冷やかで、がしかし温かく、なんとも言えない、独特のミハルコフタッチ、世界があって私を魅了したのです。
以来、光と影のバラード・黒い瞳・オブローモフの生涯・シベリアの理髪師は映画館で見ています。12人の怒れる男・以降はDVDで。
私が岡山に越してからは、残念ながら映画館で観るチャンスがぐっと減ったのですが、私はやはりこれらの作品はいい映画館でしっかりと一人で見たいですね。
骨太のスケールの大きい作品を撮る監督が減ってきたように私には思えます。デビットリーン、(ライアンの娘)ビスコンティ(山猫・すごい)、チャップリン(独裁者)、映画も舞台も、その時代を真の意味で生きた人間が創る、それは常に新しい。
フェリー二(崖)、ジョンフォード(わが谷は緑なりき)ベルイマン(処女の泉)アーサーペン(奇跡の人)アンドレイタルコフスキー(ぼくの村は戦場だった)サタジットレイ・・・。
話がそれた、ニキ―タ・ミハルコフの新作は必ず見ます。理屈抜きのミーハーファンですから。暗闇の中で大画面の映画を見ることは、夢の至福の時間、子育てもほぼ終わりましたから、きっとこれからは、地面と画面の往復運動をする時間が増えてくる気がしています。
久しぶりにお正月は映画館にゆきますか。過去の素晴らしい作品を若い人たちにきちんと見てほしく、そんな国立映画館が各県にないと、文化国家とはいえないと思います。いつ行っても低料金で過去の名作に触れられる、特に日本の名作に。
きりがないので今朝のブログは、これくらいで。
さっそくのお返事 ありがとうございました。
返信削除ニキータ・ミハルコフ氏の作品で 「ウルガ」というモンゴルを舞台にしたものがあるのですが DVD化されていませんので もう 見る機会はありません。
http://www.youtube.com/watch?v=X78jEM6-mew
映画にも「一期一会」というものがありますね。
最近 昔の名作が あちこちの映画館で上映されるようになりました。
アンテナ 張り巡らしておけば 思わぬ 再会、というのもあるかも、です。
「ウルガ」は 無理でしょうが。