高梁のYさん宅・今日薪を頂きに伺いました |
今日から師走、日本人にとっては何かと慌ただしく感じる季節の到来である。ほとんど毎日似たような日々を過ごすなかで拙文を綴り、私ごとながら、日々の生活を新鮮に感じられるということは、ささやかに生きている喜び、楽しみです。
以前も書いた記憶があるのですが、今を生きる新鮮な感覚というものが、やがては消えゆくまで、何か他愛もないことを綴れるある種の、余裕のようなものがあり、そしてどこかのだれかが読んでくださっているうちは、書きつづりたいという思いです。
さて、そんな私にも確実に肉体の変化はありまして、この数年肩こりが以前よりも感じられるようになってきました。いい年なのですからそれは当たり前のことと受け止めながら、それなりのケアーをしながら、しのいでいるのですが(生活には何ら支障はありません)、そんな私の身体を指圧してくれるのが、なんと80歳の母なのです。
私がしてあげるのが、本当なのだと思うのですが、何故か逆で私は甘えることにしています。昨夜母が夕食を共にし、お泊まりしたのですが、湯上り、ストーブのそばに上半身裸で横になり、指圧していただきました。つぼを良く知っていて、効果もあるのですが、お互いのコミュニケーションの一つでもあり、家族全員が母を頼りにしているのが、母はやはり嬉しいのです。
3世代が、ひとつ屋根の下でやがては、愛と老いと死を見つめてゆける環境を今から、可能な限り考え続けてゆかなければならないと、この数年考え続けています。介護の勉強もそのために通ったのです。できるだけ他者の手を介することなく、自律した生を全うするためには何を為すべきなのかを、普段から頭の隅に入れておくことは、必須のことだと思います。
母を見ていると、晩年本当にこのように過ごせたらという、私にとっての理想的な生き方をしていると思えるのです。自分のことより、先ず私たちや孫のために、家族のためにほとんどの時間を生きています。この20数年彼女がいそしんでいる家庭菜園の見事さは、彼女の生き方の見事さを、具現しています。
この母の娘である私の妻は、母の魂が乗り移ったかのようにこの数年、菜園や花に取り組み、その親子の情愛の姿は、私をして感動させます。母は土(自然)というものの偉大さを本当に謙虚に受けとめる力を持っていると、感じます。
こんなに身近に先生がいるのですから、母が元気なうちにいろんなことを学びたく思っています。
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