ポットにネギの種を入れる手順をN氏に指導するF氏 |
お休みの日は、全く異なる時間を過ごしているけれども、不思議とサンナンの畑が眼に浮かぶようになった。このことを私は一面不思議に感じながらも嬉しく思っている。二日も畑にゆかないと何か随分行っていないように感じるのだ。
本当に畑仕事というのは、天候に左右されるのでなかなかに物事が人間の思うようにははかどらないし、立ち行かない。あくまで自然に寄り添い、耳をすませ、自然の反応を伺いながら事を進めてゆくしかない。まだ2ヶ月半しか働いていないのだが、随分といろんなことを体験させて頂き、自分の晩年ライフがにわかに、ささやかに、充実感をましてきていることを日増しに感じている。
今日もこれから仕事に出掛ける前に、さあ、今日はどんな一日になるのかと、ちょっぴりと楽しみなのだ。先日植えた青梗菜達は、この寒さの中無事にかっちゃくしたか気になるし、自分で植えた玉ねぎがまっすぐに伸びているのを見ると、やはりそこはかとなく、嬉しいのである。
日々何がしかの変化を伴う、農の仕事というのは、一仕事終えたこれからの熟年、晩年世代にはことのほか重要な仕事として、企業だけではなく、政府もきちんと生きがいライフとして、充分に取り組む価値があるのではないかと私には思える。
そしてこれからの、不確かな未来を生き抜いてゆかなければならない若い世代にも、先ずは作物が育つことの、体感教育として、国が率先して取り組んでゆくことが肝要だとますます感じている。人間健康な身体がすべてだと思う。身体なくして、心育たず。
土に触れ、身体を動かし、自分が土と繋がっている感覚を、先ずは取り戻さないと、生きものとしての、まっとうな感覚、命が見えなくなる。そのことを先ず責任世代が取り戻さないと、この国の未来は暗澹とした国になってゆくのは、私には眼に見えるような気がしている。
そのためには、理屈抜き先ずは自分から始めないと説得力がない。いい歳だが、このようなチャンスが人生に訪れたのだから、歳のことはしばし忘れて一日一日を大切に取り組んでみたいのだ。そのために他のことができなくなってもいい、位の気持ちになってきた。
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