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2013-12-09

ユーモアのある、長く心強いコメントを頂き恐縮いたしました。お礼のブログを書かせて頂きました。ありがとうございました。

本物の樹に妻が作った我が家のクリスマスツリー

本当に世の中は捨てたものではないということを感じる、初めてといっていい、長いユーモアのあるコメントを、昨日のブログで頂きました。

 

4年以上書きつづけてきましたが、私のブログは、0の日のコメントの方が圧倒的なのですから、いささか驚きました。

 

自分自身(自分とは何かということを、ささやかに考え続ける勇気を持ち続けること)何度か、真摯に悩みつつ、なんとかこの年まで、身過ぎ世過ぎしながら、本音と建前を駆使しつつ、生き延びてきた私です。

 

いまも煩悩の塊のような、絶対矛盾を生きる私なのですが、可能な限り心と体が、気持ちのいい方へ向かうような生き方を、選択しながら現在にいたっているという感じに過ぎないのです。

 

物心つくころから、貨幣の恐ろしさに支配され続けて生きてきましたが、有難いことに芸術(広義の意味でのあらゆる分野の人類の苦悩の果ての知的財産)という世界に助けられ、貨幣に距離を置く生活を心かけてきたおかげで、なんとか貨幣の恐ろしき洗礼に足をすくわれることなく生きてくることができた、気がしています。

 

私だって平凡な人間ですから、欲望や煩悩に限りなく振り回されるのですが(いま持って)、本当に大切なこと、この奇跡の星を形作る森羅万象世界を、(酸素、水、光、土、あらゆるおかげ物質)真の意味で買うということは、天に向かってつばを吐きかけるような行為に私には思えます。

 

私は、先ず家族・希望やユーモア、愛くるしい幻想のような、芸術的な感性世界があるからこそ、なんとか絶望せずに生きてこられましたが、それと出会わなかったらと思うと、いささかぞっとします。

 

ささやかに、今日を生きる食べ物があり、棲むところがあり、いきいきと生活し働け、家族、友人に恵まれ、健康である、そして限りなく不安がないということが、幸福ということではないかと、現時点で考えます。

 

すでに経験した父や母との別れ、今後も辛いことは日々の中に否応なく訪れるでしょうが、そのことも含めて人生、避けられない運命を受け入れつつ、前向きに生かされている命を見つめ続けてゆくことを、心かけたく思う私です。

 

 

 

 

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