自分で漉いた和紙にN氏が書かれた文字・言葉 |
こうも暑い日が続くと、早寝早起きがやはり一番私には過ごしやすいような気がしているこの頃だ。とくに瀬戸内の凪はからだにこたえる。この夏、平日は講座を受けているので、土日は出かけず家で身体が消耗しないように過した。
さいわい新陳代謝がまだよい方なのか、汗をよくかくので、昨日なんか3回水を浴びては何かをすると言った按配で知恵をつかっている。書いたり読んだり学んだりは早朝から御昼までにとどめ、午後は風通しのよい場所で猫のように体を休めながらのらりくらりの、夏を過ごしている。
昨夜も9時には横になり4時には眼が覚めたので、おもむろに起きて静かにブログを書いている。ちらっと選挙結果を昨夜見たが、おおよその予想通りで、眠くなるまでは脚本家としてすごいお仕事をされた、橋本忍さんの複眼の映像という、黒沢明さんとのことについて書かれた本を読んで過ごした。
このような本に巡り合うと、退職してよかったとおもう。時間に余裕なくば、先ず読めないのだから。そして繰り返し書くが、心身健康な人生の時間というものは限られている、という物理的現実を、現時点でかなり私は深く受け止めている。
ところで、永遠と一日、という映画のタイトルがあった(ような気がする)が、この年になると一日穏やかに意識して過ごせることが、なんともはやあり難い。母が届けてくれたナス、ししとう、ピーマン、玉ねぎ、は天ぷらにして、トマトとキューリはサラダ、そうめんをたくさん湯でて、夏の昼食を、昨日家族全員でした。平凡なお昼の、小さいころを思い出す日本の田舎の夏。
歳を重ねると、身体は否でも保守的になるが、齢80歳の母の一日の過ごし方をそれとはなしに観察していると、まさに理想の過ごし方をしているように私には最近感じられる。身近に御手本が存在しているというのは実に有難い。退職してからは母と話をすることが増えた。座学ではなく実学。
これもまた、時間に余裕なくば叶わぬことである。ことほど左様に自分に与えられている人生の時間をいかように過ごすかは、各々各自の全き自由である。けっして浮足立つことなく、淡々と一日を送る母の姿は無言で私に何かを伝えている。
昨日に続いてのとりとめなき朝ブログ、本であれ、母からであれ、今の私より過去に生きた人々から、直接であれ間接であれ学ぶことが、これからの私の未来時間になりそうである。
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