ページ

2013-07-21

参議院選挙の朝に思う


N氏の造形和紙で漉いた衝立障子

さて参議院選挙の日の日の朝である。すでに蝉しぐれが真夏を告げている。夏といえば私の中では蝉しぐれ、それと勢い良く伸びた稲穂。海と川、風鈴の音、スイカ、かき氷、などなど宮崎の故郷の子供時代のあれやこれやを、今も私は懐かしくおもいだす。

 
おそらく元気で身体が動く間は、これから繰り返しおもいは、古里の少年時代へと老いてゆくに従って、回帰してゆくようにおもえる。考えてみると世界のなんたるかを何も知らなかったあの頃が、いわば自分の黄金時代だったのだという思いが、歳を重ねるに従ってしてきたのである。

 
あの頃の自分をおもいだすとどういうわけなのか、今も元気が出てくるし、私がアジアやアフリカの村を訪ねたりしたくなる大きな動機は、舗装されていない小道や路地を歩き、地に足がついた暮らしを今もしている現地の方々と触れることで、安心するということがおおきい。

 
もうあの頃には還れない都市化された自分の心と体を洗いに行っているような感覚とでもいえばいいか。小さいころから、日本は資源の無い国とおそわってきたが、正直世界30カ国以上旅してみておもったことは、鉱物資源はともかく、海山川がもたらす自然界の山海の珍味は、世界屈指の豊かな国というほかはない。それとこの日本列島で生きてきた無名の民の遺してきた文化的感性のすごさ、それは言葉として遺されている。

 
そのような国に生まれ落ち、この年歳まで生きられたこと、それ一つとっても、なんとありがたきことかと、朝の涼しい風を浴びながら小生、感謝の思いが夏の雲のように湧いてくる。

 
とりとめ無き朝の一文、とりとめなきたわごととして読み飛ばしてくださるとうれしい。昨日、なかにし礼さんの小説、長崎ぶらぶらぶし、を読み終えた。ゆっくりゆっくり亀のように読み進む、ときおり手を休め物思いに耽りながらまた読む。私にとってのいい小説は(正直あまり小説は読まないのだが)想像力を限りなく刺激する。

 
省略と推敲に推敲を重ねた日本語の(私の読めない言葉がたくさんあった)素晴らしさ、やはりプロの作詞家というのか、詩人の紡ぎだす言葉は、貴方の過去など知りたくないの、の私が知る流行歌の作詞家の、私が勝手に思い描いていた、なかにし礼さんのイメージを完全に覆した。

 
短いブログで書くことではないが、小説を読みながら、桃山晴衣さんのことが、しきりと私には憶いだされた。桃山さんのお仕事と、小説の主人公の生き方が途中からダブり始めたのである。底辺に生きた人々の消えゆく歌・唄・うたを、日本各地を訪ね収集し、それを現代の歌として蘇らせた桃山さんのお仕事は、時代がすすむに従って底光りするように私には思える。

 
さて大事な国の行く末を左右する選挙である。本当に国民の力が、如実に試されていると私はおもう。戦後生まれの私は、平和ということの有難さの実感が薄い世代に属するのかもしれないが、穏やかに、つましくも安全で地に足の着いた暮らしが続く国づくりを掲げる候補者をと考えるが、、、。

 
ともかく選挙に足を運ぶこと。投票率が限りなく上がってほしい。自分の権利を放棄するのは、自分を放棄するようなものだと私は考えている。

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿