もう早くも一週間前のことになってしまうのであるが、ほんのわずかでもいいから上京3日目、土曜日のことを書いておきたい。
小津安二郎監督のあまりにも有名な作品、東京物語ではないが、私もちょっぴりとそんな気持ちを胸に秘めながら、ゆっくりと三田の宿を引き払い、K氏と共にまたもや新宿に向かった。お昼の約束だったので、新宿でK氏と御茶を飲み、お別れした後、私は娘たちの住む調布に向かった。
昔、それこそ40年数年も前、何度も行ったことのある調布の駅のまわりは、当たり前だが浦島太郎の感があるくらい、様相は一変していた。駅から連絡すると、レイ君が自転車で迎えに来てくれた。娘が選んだこの青年、家族全員お気に入りです。
ゆっくりと歩いて15分位のところに、こじんまりとしたマンションがあった。なんと近くには牛を飼っている農家や農業を営んでいる方たちも住んでいる。都心とはいささか趣が異なる、のどかなところに在る瀟洒な建物で、二人で暮らすには充分な部屋に婚約した娘とレイ君は住んで、新しい生活を始めていた。5月に訪ねた妻から話は聞いていたが、一安心、とてもいいところでした。
自分が上京した時代に住んでいたところとはあまりに違うので、いささか時代のずれのような、隔世の感にとらわれながらも、若いなりにしっかりと新生活をしていることに、親として安堵を覚えた。
娘のところで、シャワーを浴び、レイ君のYシャツに娘がアイロンをかけてくれ、それを着て、約束の午後3時、東中野に3人で本橋成一(是非検索してみてください)監督を訪ねた。監督は御忙しい中、時間を作ってくださり、5年ぶりくらいに娘たちも共に、旧交を温めることができた。そしてなんと本橋監督は、娘とレイ君に、アレクセイと泉・ナージャの村の2本のDVDを婚約のお祝いにプレゼントしてくださった。
監督は、現代という混沌時代の中でどのような暮らしを営めばいいのかという、人間生活の根源に深く切り込んで考えてゆく仕事をなさっているすごい人なのだ。あらゆる意味で大先輩なのに、私ごときにも気楽に会ってくれ、懐が深く細やかな気配りは、いつも私を感動させる。
岡山で10年くらい前に、監督のフィルム・アレクセイと泉・の自主上映を一回やっただけなのに、わたしの退職にも過分な心温まるお祝いをして下さった。土門拳賞や太陽賞に輝くすごい写真家に、お祝いしてもらったことは、我が人生のささやかな誇りである。
わずかな時間ではあったが、監督からは言葉数は少なかったものの、岡山で私がやれそうなことをやってほしいという思いを感じた。
まだまだ、話したいことがたくさんあったのだが、続きは岡山で・祝の島・の自主上映会をやってからにしようとの思いを秘め、監督とお別れした。
その後3人で有楽町に移動、岡山に移住する前からの交友が続いている面々、土取さんのイベントでは欠かすことのできない音響技師、それにもう一人こないだ、雨の中岡山に立ち寄ってくれた、K氏の娘さん(その女友達も、もう一人のK氏は2次会から)総勢8名が、ガード下の飲み屋に集結。これだけの面々が一堂に会するのは、何かの力が働かないと無理。
再会した瞬間から、いきなり皆歳も忘れハイテンションで、楽しいというしかないひとときは、梅雨の晴れ間の闇の中で、矢のように過ぎた。私は自分の友達の宴の輪の中に、K氏の娘さんや我が娘、そしてレイ君も溶け込んで共に飲み語らっていることが、まるで夢のように思えた。
つかの間、たまゆらの、夢幻的時間というしかないこの夜の出来事は、死ぬまで忘れないだろう。たとえ一週間遅れではあっても、集った面々を、きちんと書いておきたい。河合博昭・小島京志・小島渚・須藤力(つとむ)・野の上勝男・日高怜(レイ)・日高満智・そして私。
61歳の人生途上で、このよういまだ喧嘩もできる、熱き愚直な友人たちに出会えたことは、我が人生の宝というしかない。今回の上京は、充実無比、特別な上京となった。再確認、再出発のエネルギーが我が身体に湧いてきている。
明日は七夕、私のDVDトークの第一回である。自分でも何故こんなことがやりたいのかは判然としないのだが、理知的な冷静さには程遠い自分の性格が、簡単にいえば情動が湧いてくるのだ。過去の時間の上に在る、自分の生活を振り返るのではなく、今現在を確認をしながら、小さきことを追求したいのだ。
とりとめなき、即興朝ブログ、翌日曜日娘のところで午前中過ごし、お昼は私と妻が出会った場所吉祥寺で昼食をし、娘たちと別れ岡山への帰路についた。昼食はレイ君が中国の四川料理を御馳走してくれた。
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6月30日夜有楽町で逢えた面々 |