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2012-05-04

GWの最中に思う


いま読んでいる本

4日の朝です。GW、昨日、夢が原での私のおそらくは最後になるであろう武士の屋敷での私は、あっという間に時間が経つほどに忙しく、慌ただしく過ぎました。平日とのあまりの落差に、還暦を迎えた私の精神は、またもやいろんな思いにとらわれましたが、そのことはさておき、いつも通り主に子供たちやお母さんと、一期一会の縁側交流にいそしみました。



おそらく、この20年の間、私はこの武士の屋敷の縁側で、ほとんどの方とは二度と会うことはない寸暇の交流をしてきたのだと思います。20年という時間はやはり何といいましても、それなりの時間です。生まれたばかりの赤ちゃんが二十歳になるのですから。



私は本当に来園者の方々から、いろんなことを学ばせて頂いてきた、自分を感じてきましたが、昨日もまた数組の家族が印象に残りました。5年ぶりくらいに他の家族も誘って来られている方もおられましたし、もちろん初めて来られる方も含めてです。



竹トンボやお箸を作る中で、いろんなお話をしながら、わずかな時間ことばのやりとりをするだけなのですが、まさに人間は千差万別、二人と同じ人間はいないということを実感するのです。ただお話をするのではなく、子供たちに肥後の守というナイフの使い方を教えるだけなのです。最初はおっかなびっくりしていたお子さんが、ゆっくりとかすかに変化してきます。初めてナイフを持ち竹を削るという経験、子供ならでの感情がほとばしります。



60歳のおじさんは、そんな子供たちの微妙な戸惑いや表情の変化に、生きている人間の素晴らしさを感じます。だから繰り返し、飽きもせずこの20年間、(もう21年目に突入)教えることとは何なのかを、考えながら教えていられるのだと思います。



さて、来年からは夢が原とは異なる新しい場で、全く異なる新しい人生の時間を歩むことになるのですが、おそらく本質的には日高事務所でのこれから始める企画や塾は、人間と人間の交流が基底になるのは、何ら変わりません。生き生きヒダカ塾をGWが終わったら、ゆっくりと立ち上げますが、中高年、とりあえず同世代対象の塾にしようと思っています。



同世代が初めて経験する、老いてゆく時間の中での、老いの輝き、可能性を、一人で見つけるのではなく、他者との出会いの中で生きる喜びを見つける塾です。



GWが終わったら、声を出すためのテキストを(4分位の)何種類か作りながら、ゆっくり準備します。古里に帰り、お墓参りをしてから。


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