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2025-12-06

2025年12月、師走最初の五十鈴川だより。

 昨日夕刻、運動公園で東の空に、浮かんでまもなくの大きなまあるい月を眺め、朝老犬メルの散歩で西の空に同じ月を眺めて、休日、師走最初の五十鈴川だよりである。数日前から一気に気温がさがり、俄に日本列島はいよいよ冬に入ったかんがある。

いま2階の寝室で、冬の日差しを背中に浴びながら打っている。寒いが暖房は入れていない。膝にはダウンをかけ、上半身に温かい衣類を羽織って打っている。中世夢が原という職場で私がほとんどの時間を過ごしていた園内には、 武士の屋敷の囲炉裏しか暖房がなかったので、おそらく22年間の痩せ我慢生活で、自然に鍛えられたのであろう我が体は、このくらいの寒波には耐えられる。

もっと痩せ我慢を綴れば、敢えてこのくらいの寒さを感じながらのほうが、頭が冴えて五十鈴川だよりも打てるのだと思いたい、あまのじゃく思考の私である。

未知の世界をいつも案内してくださる

さて、世の中、高市総理の台湾有事に関しての発言が、日中間に軋轢をもたらしている。そのほか佐賀関の火事、香港の火事、インドネシア、スリランカ、タイなどでは水難災害、国内では物価高のニュースなど、など(もうほとんど書物からしか情報を得ていない)が頻繁に報じられている。

あらゆる報道されているニュースに、諦感のような感覚におそわれる。今日一日無事に過ごせることのなんたる在りがたさをおもう。私は自分がそのような目に遭わない限り、決して身に染みては分からない、のだ。

だが、一切合切をなくすほどのことの経験を我が両親はしている。いきなりの敗戦、北朝鮮からの引き揚げで体験している。3歳の姉と生後半年の兄を連れてである。30代、両親とも若かったから再生、出発ができたのだ。持たないものは強い。

私が今このような目にあったら立ち直れるだろうか。高齢者である私がこのような事故、アクシデントの状況にいきなり置かれたらと想うと、私のような軟弱なものは想像を絶する。

私を含めた多くの庶民は、それどころではない現実をそれなりに耐えて生きているのだと思う。心に余裕がないのである。世の中あらゆる格差がまかり通って差はますます広がっている。そのような世相のなか、いかにお金をやりくりし、そのなかでいかに生き延びてゆけばいいのかを考えるのか、私は私なりに考え続ける。貧すれば鈍す、にならないための方法である。

私の場合、やはりお手本は我が両親にある。老いるにしたがって両親の小さい頃の教えが甦ってくる。今時辛抱なんて言葉をほとんど聞くこともなくなったが、私は今も折りにつけ、辛抱辛抱と呟く。両親がよく辛抱しなさいといっていた声色が耳に残っている、のだ。

念仏をとなえるようにである。もうひとつ、ひとのやりたがらない事をやれ、と父は言っていた。小学生の頃、父は肥くみを私に兄たちと共にやらせた。私はこれが大嫌いだった。が思えばこれが下地になっている。

今の私を支えているのは肉体労働と読書である。小さい頃の生活水準から考えると、十分に私の生活は足りている。先日も打ったが今の私の日常生活には読書時間がもっとも大切なのである。

一番安価で、才能のない私を育て助けてくれたのは本である。本が行動を促し、旅を促す。そして日常生活、日々高齢者の私に生きるエネルギーを与えてくれる。10月の半ばから11月、師走の今までほとんど人に会っていない。労働し、本を読む生活で足りているのである。面白いから読める。ただそれだけである。

本は次の本を授けてくれる(暮れる)、師走の夜長、冬の読書は(夏の読書とは比較にならない)私には老人生活一番の悦びである。

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