立花隆さんが亡くなられて来年の四月でまる5年になる。この年齢になると、全てはあっという間の歳月であることを実感する。
さて、昨日立花隆さんの膨大な著作から、東大の立花ゼミで、立花隆さんから講義を受けた方が、立花隆さんが残した珠玉の言葉を新書版の形で、読みやすくまとめた[いつか死ぬのになぜ君は生きるのか]という本を一気に読み終えた。(解説を池上彰さんが書いている)
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| 成長したら孫たちには是非とも読んでほしい。 |
五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方には、年の瀬に読むには、高校生から、私の年齢以上であれ、この世を生きるすべてのヒトにおすすめする。
立花隆さんは齢80歳で他界されている。巻末に記されている、出典書籍一覧60冊から引用された、苦悩格闘の果てにつむぎだされた言葉が、今という時代を生きる、老人の私に限りない勇気を授けてくれる。
本物の書籍は著者が不在でも、今を生きる人間が手にとって、立花隆さんの遺した言葉に、ある種の啓示を感じるのだから、あらためて氏の多方面への関心、好奇心のおもむくままに、青春からお亡くなるまでの、知的好奇心の果ての膨大な著作を知ると、脱帽、頭を垂れるしかない。
私のわずかな一庶民生活者の本棚に、氏の本が思索紀行、エーゲ、佐藤優さんとの対談本など10冊位ある。上下二巻の天皇と東大は、晩年読もうと思って買っておいたのだが、すぐに読みたくなった。
第一章、人間とはなんだろう(抜粋27)。第二章、死とはなんだろう(抜粋25)。第三章、人はなぜ生きるのか(抜粋10)。第四章、人はどういきるのか(抜粋26)。第五章、考える技術(抜粋26章)。第六章、今を生きる人たちへ(抜粋16章)で構成されている。
私のような一庶民俗物生活者には、目も眩むかのような一途な学究者である。が、この本を読んで思春期から大いなる悩みを抱えながら、必死で独自の活路を拓かれ、全うされた人生であられたことが実によくわかった。徐々に認知され、単独行動で大きな組織の闇の部分に(よくわからないから切り込んで行く情動は、氏以外にはなしえない)果敢に挑んで行く。
私のような俗物生活者であれ、高齢者になり、ややもすると安易きわまりない、面白味のない、安逸な生活にどっぷりはまって、知的刺激をまったくと受けないような輩にはなりたくはない、と思うので、この新書版の小さな本は、これからの私の未来時間の、大きな支えになってくれるのは間違いない。
話は変わるが、このところますます本を手にする時間が増えている。年の瀬世の中の流れとは別世界を、遊読旅、次々と良書、体が喜ぶ本に巡りあっている。心なしか種類にもよるが、集中力も読む速度も以前よりも、老いに逆らって早くなってきているように、(錯覚かもしれないが)感じる。外見は全く驚くほどお爺さんである。が信頼できる人の言葉で体が反応する。私は言葉で生きている、のだ。
時間は一定、二つの本を同時には読めない。立花隆さんも言っている。本を読む時間は限られている。とはいってもご本人が言っている、どうでもいいような本もつい手にして、時間をすごし(知の巨人であれそうなのだからちょっとほっとする)反省し、相当集中力なくしては読めない本に挑んでゆく、そこが凄い。
遊び心。正直。他にやりたいことがない。養老孟司先生、佐藤優さん(他にもいる)私がこの十数年、(分野は違うが千住真理子さんとも通ずる)刺激うける方の本を時に難しくても、読み続けられるのは、ご自分が見つけた言葉、本気の息づかいが行間から伝わってくるからだとおもう。
そして未知の世界に(生きて在ることの、生きることのワンダーを言葉、音で伝えてくださるからである)連れていってくださるからだと思う。それと、どことはなく感じる、自然さ。つまりは唯一無二の人間性、相性だと思う。いくら世間の評価が高くても、体が反応しなかったら、私は読めない。

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