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2025-12-07

[なるようになる。]という養老孟司先生の本を夜中の3時半から読み始め、読み終えて思う五十鈴川だより。聞き手‥鵜飼哲夫。

 昨日も打って、今朝も打ちたくなったのは[なるようになる。]副題、僕はこんなふうに生きてきたという養老孟司先生の本を読んだからである。いまも売れ続けている、バカの壁という本が出版されたのはもう20数年前だとおもう。何度読んでも面白いし、学べる。私の書棚には唯脳論ほか先生の本が僅かではある(手放せない本)が収まっている。直に講演会も二度聴いている。

岡山に移住してのち、つまり40歳から折々今も対談集も含め先生の名前が図書館で目に入ると、必ず手にし読んできた。今回の本は2023年の11月に発行されている。先生は1937年のお生まれなので86歳の時の本である。

聞き手の鵜飼哲夫さんが素晴らしい

第一章、幼年時代と戦争。第二章、昆虫少年医学部へ。第三章、章解剖学者の奮闘。第四章、バカの壁と愛猫まるとの出会い。最後、養老先生への50の質問で構成されている。敗戦の時8歳、3歳で父上が亡くなる。記憶の始まる回想、父とのお別れは目頭が熱くなる。

読売新聞に32023年1月から3月まで、全35回にわたって連載した[シリーズ、なるようになる]が本に成ったものである。聞き手の鵜飼哲夫さんは読売新聞編集委員である。読んでいてすっきり、正直で、どこか漱石の坊っちゃんを思わせるような語り口が痛快で一気に読み終えた。

一貫して虫、自然の側からの視点が揺るがない。ヒトも自然の一部、現代人は死体を怖がるようになっているが、生きている人間のほうがはるかに怖い。私もこれからは死者の側から、死者の声に耳を傾ける読書時間を増やしたい。

養老先生は、自分に正直に物事を突き詰めてしつこく考え続けてきたからこそ、養老孟司先生の現在が在るのだと知らされる。難しい論文ではなく、私のような者でもすーっと、読める語り口で、分かりやすく説得力があり、その上面白く府に落ちる。

長くなるのではしょる。が、私のような田舎者が18歳から東京都市生活にウンザリ、身も心も消耗、内面がカサカサに渇いて、これでは駄目になると直感、娘が生まれ、岡山に移住する。結果、その決断で中世夢が原で自然に囲まれ体を動かし生き返る。私は再生することができた。

古稀直前、人生で初めて大きな手術をしたが、再び生き返る。自然に委ねて、あれから4年生き延びている。それが何故なのかを、こんなにも分かりやすく言葉で説いてくださったかたはいない。マイノリティであれ、自分の感覚が求めるところ、気持ちが安らぐところで、これからを虫のように過ごすのだ、との思いの深まりが五十鈴川だよりを打たせる。

それにしても、目からうろことはこの事である。書きとめたい、膝を打つ先生の言葉が染みてくる。。随所で深く頷く自分を発見する。強制労働ではなく、体と遊ぶ工夫、体動かし労働がかくも気持ちいい事を、岡山に移住して33年、私は見つけたのである。やがてはできなくなる、とはいえ今は気持ちよく働ける。続けてきたからこそ見つけられたのである。

長くなるが、もう少し。五十鈴川は流れる。流れないと水は澱む。どのような原石も磨くことで何らかのその人らしい光を放つ。唯一無二の自分自身という授けられた存在を在りがたく、生涯かけて見つけてゆく営みをこそ大切に生きる。そこに生まれてきた理由が在り幸福が在ると先生は言う。

もっと打ちたいのだが、これ以上打つと野暮になる。が、夢なんか持たなくてもいい。希望なんか持たなくていい、と先生は言う。現代の価値観とは真逆になるようなことを、あっけらかんと語る先生は、私にとっての坊っちゃんである。サイコーにカッコいい。爪のあかでも先生のように存在したい。

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