昨日、ちょっと特に、今年お世話になった方のところに、久しぶりに拝顔がてら、直接ご挨拶に伺った、午前中10時過ぎから動いてお昼を挟み、最後は猪風来美術館へ。猪風来さんは所要で不在であった。短い時間、原野さんの作品をみて、猪風来さんのことしの新作もあらためて、見た。(何度みても新鮮、命が宿っている)
すぐ帰るつもりだったが、よし子さんが、お茶、続いてコーヒーを淹れてくれて、思わぬお話時間をよし子さんと持てた。この2ヶ月、妻以外の人とは言葉を交わしていなかったので、お思わぬ、予期せぬ話が、二人っきりでよし子さんと出来たことができて嬉しかった。
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| ゆっくり学びます。 |
長くなるし、割愛はしょるが、すでに五十鈴川だよりでも書いたので、重複するし、論旨も脈絡もままならず、でも少し打つ。今年一番の私の予期せぬ出来事は、猪風来さんご夫妻の渾身の企20周年企画に、側面から裏方として、黒子に徹して関われたことである。
関係性の深まりは、昨年の秋、すでに何処か遊悠隠居気分で生活していたところに猪風来さんからの一本の電話で、始まった。以来今年10月12日の、イベント当日までこの一年の私の内面の変化は、そうは簡略に言葉化できない。
それほどに密度の濃い、老いゆくなかで、かけがえのない未知の、時に苦しくも、楽しい愉快な時間が過ごせたことを、五十鈴川だよりになんとしても打っておきたい。
これほど穏やかな年の瀬を、我が人生で過ごせているのは、おそらくほぼ一年間、猪風来さんご夫妻との密な時間を共有したからこそ、私のなかにこれまでは感知しなかった、脳のニュウ―ロンシナプスが、老いつつも繋がって、見えてきたのかもかもしれない。
そう思わざるをえないほどに、臆面もなく打つが(初めて経験する)、静かに足りた、私の年の瀬である。猪風来さんご夫妻を通じて、しっかりと縄文という言葉が、体の深いところ、脳のシナプスに定着したからではないかと、想えるのだ。
現代生成AI魑魅魍魎世界、生活する私のなかに、どこか縄文世界の経済という観念、所有するという観念のない、文字のない豊かさ、見えない生命そのものの豊かさが、まさに大いなる何かが見守っていてくれるかのような、安らぎに満たされているからである。(としかおもえない)、ジョン、レノンのイマジンの歌詞のように、縄文世界を自由に想像する。
このような感覚は一年前はなかった。だからなのである。足が年の瀬に猪風来さんご夫妻のいる法曽に向かうのは。二階の展示室の原野さんにもご挨拶した、来年も会いに来るから、と。
29日次女家族、30日長女家族が帰省する。今年夏生まれた4人目の孫も初めて帰ってくる。二つの家族によし子さんに頂いた来年の縄文カレンダーをプレゼントしようと思う。

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