5月末日の朝である。4月30日のスパイラルアームズを終えてはや一月である。いきなりだが、高校生のときに観た、北欧の映画だったと記憶するが、【短くも美しく燃え】というタイトルの映画があった。中身はほとんど今となっては記憶がない。ことほどさように、鮮明に記憶している映画もあれば、まったく記憶の奥底に埋もれてしまい、2度とよみがえらない映画もある。でもタイトルだけでもおもいだすのはいかなる故か。
![]() |
教えられた、刺激を受けた。 |
老いの移ろいを、五十鈴川だよりに打ち続けるのは、ジコトウスイ煩悩なるゆえと、自己肯定する。この年齢になって、普段の生活のなかで一番嬉しいのは、孫たちの成長に触れるときである。子煩悩ならぬ孫煩悩である。世の中にはお子さんに恵まれなかったり、お孫さんがおられないかたも多く存在する。
私は恵まれている。そのことへの大いなる極めて当たり前な喜びは、授かったものにしか感じ得ようもない心持ちというしかない。そして、その心持は人それぞれ千差万別である。私が五十鈴川だよりに孫たちのことを打つのはそんなに回数的には多くはない。
なぜ孫たちのことを打つのかというと、将来私がこの世から消えて後、孫たちの誰かが、五十鈴川だよりを読んだときに、時おりお爺が自分達のことを、書いていたことを、伝えたいからである。これも人間の性、煩悩なのだろう。
孫たちとは時おり映像会話をする。ほとんどはありがたいことに、こちらからではなく、娘たちの方からかかってくる。長女次女家族とも共働きなので、子育て真っ最中である。6月半ば、長女の旦那さんが海外出張に一週間出掛けることになったので、家事応援に妻が出掛けることになった。嬉しかったのは、長女の息子のノア、次女の息子の葉、それぞれから、妻や私に上京してきてほしい、という言葉を直接聞けたことである。元気なうちに男同士、孫たちにお爺との思い出を刻む遊び時間を大切にしたい、のだ。意味もなく遊ぶ。これにつきる。
爺バカと言われようがかまわない。老いての一番の喜び、もっと打てば一番の楽しみは、お役に立つということだからである。先ずは我が家族の役に立つ。そのため、幸い好きなことであるからこそ続いている肉体労働の持続エネルギーも湧いてくる、のだ。企画を頼まれたり、自身で企画するにも、とてもではないが年金だけでは無理である。
だから、何かのお役に立つ生活を続けたいがために、私は肉体労働を続けたいのである。五十鈴川を見にお墓参り帰省旅もつづけたい。等々、お爺煩悩は消えない、だから五十鈴川だよりを打つのである。