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2022-11-22

昼は大親友K氏に、夜は大先輩S氏に御馳走になり、じーんと幸せな一日をいただきました、そして想う。

 昨日夜から、次女のところに移動し、わずかであれ記録的に昨日の出来事を、うち綴っておきたい。昨日は長女のところでレイさん指導のもと、望晃くんのために午前中絵本を2冊読んで録音した後、お昼前に稲城から川崎に出て河合さんと待ち合わせ、美味しい焼き肉ランチをご馳走になって、午後3時過ぎ飯田橋に移動。

フェアモントホテルで、25年ぶりくらいにSさんと旧交を暖めるあためるべく落ち合った。わずか一度しかお目にかかったことがないにもかかわらず、あっという間に旧交が暖まるのに、時間はほとんど不要であった。

清水さんが週一回発行している新聞

やあやあ、と会話が途切れなかったのが不思議という他はないくらいに、旧知の間柄、以心伝心で思いが伝わりよき時間が流れたことが、いま五十鈴川だよりをうちながら、縁というものの目に見えない強き糸に、自分が支えられている幸運のお導きにいたく感謝するしかない。

お昼をご馳走してくれたK氏は、出会って44年の年齢も近い大親友。直にお会いするのが2度目のS氏は、私より10才くらい先輩である。長くなるのではしょるが、S氏は終戦のとき2才か3才で、台湾からの引き上げ者、日本が台湾を統治していた時代のS氏の祖父のご本を上梓したりしておられる。(とにかく昭和男の香りを残す、いい男である)

私の両親もまた、北朝鮮からの引き上げ者なので、その事の奇異なる引き上げ者としての末裔である私とのご縁が、S氏と私を結びつけている。とてもではないが、一気に五十鈴川だよりでのs氏との再会に至る過程を記す時間はないが、娘や義理の息子たちに、私の大切な友人を五十鈴川だよりに、きちんと記しておきたいのである。

さて、ホテルで暫しお茶の時間を過ごした後、そこから夕闇迫るなか歩いて、馴染みの町神楽坂に移動、とある感じのいい庶民的な老舗の路地裏の焼き鳥やさんに移動。久しぶりに外でビールで再会の乾杯をし、美味しい焼き鳥他をほうばり、ビールのあとほんの少し熱燗をいただき、S氏と歓談語り合った。2時間近いひとときが瞬く間に流れた。臆面もなく打つ、ほんと幸せであった。

事実として書くが、高齢者同士の再会の【ある夜の出来事】としてはまるで映画のワンシーンにでもなるかのような一夜であった。お互い元気であればこその幸福な再会。いまもS氏の声のトーンが耳にこびりついている。人生の晩秋の時間の得難い人との再会語らいは、かくもヒトを幸福感で満たすのである。そのことのありがたさをきちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

S氏は、私の孫や娘たちに群馬の名産のお菓子を、お土産にわざわざ持参してくださった。S氏は大人であり、紳士であり、いまではもう死語になりつつあるが、古きよき昭和という時代を体現している、まれなパトロニストである。芸術や文化の大切さを日々唱え、願いながら今も現役で、歩き回って私のような輩とも交誼を重ねてくださる、私にとってのまれ人なのだということを、再認識した一夜の出来事であった。お元気で、また。

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