すでに11月にはいっている。もうすでになんかいか打っているし、たぶんもっと老いて、五十鈴川だよりが打てなくなるまでの間、きっと認知機能が衰えるにしたがって、繰り返し打つことになるかもしれないが、打たずに入られないほどに、こうして打つことが、書くことが、言わば好きになろうとは、摩訶不思議といわずにいられない。二十歳くらいまで、読み書きは全く苦手だったのだから。人間は変化する。だから面白い、のだ。
さて、おそらく10年間以上、五十鈴川だよりを打ち続けているからこそ、手前みそではなくなんとか、心身機能を保ちながら、万座にお恥ずかしき一文をさらすという営為を続けていることに。でも、打ち続けているからこそ、なんとか平穏に生活できているのかもしれない。
妻の生け花 |
打つということと、書くということは、まったくことなるということを、どこかで認識しながら五十鈴川だよりを打っている。なぜこういうことを打っているかというと、昨日本当に久しぶりに、硯で墨を擦り30通ほど封書に名前を書く作業をつづけた、からである。
ゆっくり筆でお名前を書くだけなのだが、それなりに時間がかかったが、新鮮な気持ちでいい時間を過ごすことができた。
デジタルでの一文と、手書きの文字では、まったくといっていいほど異なるが、もうわたしはその事を、どこかで意識しながら、可能な限り両方を併用しながら、綴ってゆこうと決めている。そして回数は少なくても、筆で日本語を綴るという営みは、腕が動く限りますます大切な時間として続けてゆきたいと想う。
来年、71才の春の企画までは、今年の突然の10年ぶりの企画と異なって、ゆっくり進められるのがありがたい。老人はお便りを書きながら、150人の集客に向けて、日々の生活をまずはきちんと大切に送りながら、事を進めてゆくつもりである。
老人にもやれる、もっと打つなら、老人だからこその企画を見つけたいという、でくの坊(否定的な意味でのことばでは全くない)ならではの、世阿弥の言葉を胸に刻みながら、老いの花といえるかのような企画がやりたいのである。あえて打とう。満開で散る花のようにありたい、というのが老いのざわつき、なのである。ざわつく間はざわつく、その事に正直でありたい。これ以上打つと、野暮なので控える。
古希を迎えて、わたしはご活躍くださいとか、ご成功を、何て言葉に全く関心がない。成功なんて言葉からは全く遠い境地を生きているし、そういった現世的な常識や価値的なものにはとらわれない企画、老人力というものを謙虚に見つめ、未知の世界を堀り続けたいのである。
先月沖縄にゆき、【多嘉良カナ】さんの歌と躍りを体感することの奇縁を持てた。岡山で企画したいと、企画者の血がさわいだのである。今の私が出会えたアーティスト、能楽堂ホールは集客数150人、大規模な宣伝は不要である。わたしはまずは大切な友人知人に、足を運んでいただきたいと思っている。
一日一枚、ティケットを売るつもりくらいの気持ち、手書きで、まるで時代に逆行するかのような企画であるが、私にとってはこれが老いの花、贅沢なのである。このような私の老い力のこもった企画に、この世の片隅でアンテナをたて、心を磨き、そっと生息している方々に届くように、体を使って私の企画を届けるつもりである。
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