鳥取に盟友というか親友と一方的に呼ばせていただいているM氏がいる。そのM氏とのご交誼は、出会って以来変わることなく続いている。もう25年以上のお付き合いである。出会いは氏のふるさとで行われた音楽祭のシンポジュウムに私がパネラーの一人として招かれて以来のご縁である。
春、惰眠をむさぼっていたわけではないが、企画をすることを中断、還暦から青春時代のやり残し、シェイクスピア作品を音読することに情熱を傾けていた私が、コロナ渦で音読ができなくなり、今年の春、ウクライナでの戦争が勃発したことで、突発的な10年ぶりの私の企画にM氏は、即反応してくださった10数人の中のお一人である。
私は来年の企画に向けて、11月初旬、ご交誼が現在も続いている方々に、封書を50通送ったが、いの一番に、(神奈川に住む親友K氏と同時に)メールで協賛支援のメールが届いたのである。企画は来年の春4月23日である。投函して一週間もたっていない。その上、県外在住者の氏は当日かなりの確率で参加できないのである。こういう友人たち数十人が私を影ながら支えてくださっている。だからこそ、わたしは0年ぶりであれなんであれ、あえて打つのだが、老いを迎え打つかのように、企画が出来るのだと想う。
何度も打っている、音読ほか一人でもやれることは、いっぱいあるが、企画だけはどんなに小さな企画でも一人ではできない。なん十年も企画をしてきたが。企画立案から実現するまでは、実に手間隙、時間がかかるのである。まして現在のわたしは仕事で企画しているのではない。ごく普通の生活者、庶民である。だが何を思ったか、子供がお砂場遊びをするように、老いの花を仲間と共に咲かせてみたい一念で、真剣に遊んで(企画するのにいちばん大切なのは遊び心である)いるだけなのである。
ややもするろと、遊び心で企画する何て打つと、堅物融通のきかない真面目な方からお叱りを受けそうだが、誤解されても構わない。そのような私の思いを汲んでくださる粋なかたがおられるからこそ、企画をやる勇気がわくのである。M氏のように芸術や文化というものを縁の下で支えてくださる物好きな方の存在があればこそなのである。(パトロンが・いてこそ実る・老いの花、である)
もう隠居して好好爺になり、孫の成長を静かに見守り、ものわかりのいいおじいさんになってもいいのでは、との声もしないではないのだが、わたしはあえてものわかりの悪い、でくの坊おじじでありたい。昨今のグローバル化の(この数十年の)なれの果てに、なんとも自分で言うのもなんだが、自分のことはさておき、自信なき所在無げなお年寄りが増えてゆく世相の在りように、一滴を投じたいのだ。
今しばらく体が動く間は、なにか企画しないと、老いの花どころではない、老いた屍のような体になってしまうのでは、何よりも自分自身がかわいそうである。自分にも孫たちにとっても、あまりにも情けない、というのが正直な私の心情あふるる軽薄さなのである。寺山修司は血はたったまま眠っている、とうたったが、老いたりとはいえ今だわたしはざわつく。体のほっするままに、有志と今をいきるだけである。
軽薄、単細胞、恥かき人生を18才から送ってきて、なんとかいまも、限りなく大地の近くで雑草の息吹に耳をそばだて、みすぎよすぎしながら大いなるものからエネルギーをいただいているが、いちばんのエネルギーは家族を含めM氏をはじめとする志のあるパトロンたちの存在であるである。一人一人の方にお礼状を書かないといけないのだが、伏してお礼感謝を五十鈴川だよりでお伝えします。(昨日の時点で12名のかたがら支援が届いています)
鳥取県のMです。ご紹介に預かりありがとうございます。心から話せる何人かの一人が日高師(師匠の師です)です。滅多に会うことはできませんが、このようなブログでやり取りができる世の中であることを本当に嬉しく思います。コロナで自由な往来が制限されている中で、このような通信技術でやり取りができます。
返信削除またまた企画され又。文面にありますように、企画は一人ではできないとあります。拙い人間ですが、その一人ではできないと言う支えになれば幸いです。
まだまだ先ですが、この企画が大盛況になりますように。そしてこの輪がもっともっと広がりますように祈念します。