老いバイトがある日はいつにもまして早く目覚めるが7時間は十分に休んでいる。よく眠れる体があり、この静かな朝時間があるからこそ、五十鈴川だよりが打てる。そして間もなく古希の体にもスイッチが入り動き始める。
そして大切な食欲、昨年の手術後しばらく食欲が落ちていたが、秋ごろからやはり労働力のおかげで以前の様な食欲が戻ってきている。青空天然自然の力を得て元気に生活できる、ありがたき体に感謝する。
ところで、この二日間、次女の孫の葉君をお風呂に入れた。間もなく5カ月の孫を。かくも小さき命を、お風呂に入れたのは33年ぶりである。服を着たままの娘と、裸の私で葉君の体を洗ったのだが、ゆうに言えない感情がわが体に満ちた。気持ちよさそうに湯船につかる孫の輝く命に、圧倒されたのと同時に、いやでも自分の老いを自覚したのである。だがそれは物悲しい自覚ではなく、老いゆく我が身をより深く考えさせる良き自覚なのである。
今年90歳を迎える母とのお正月写真 |
長女、次女ともに彼女たちが小さいころに何度もお風呂に入れた記憶が、しばしよみがえった。
その次女がかいがいしく、葉君にひっきりなしに語り掛けながらお世話をやいている姿に、平凡な母親の献身を垣間見て打たれたのである。
命は生まれ変わり世代は変わり時代も変わる。またとない入浴体験をさせてもらった。
小さき命をあやす次女の声が、お正月からずっと我が家に響いている。間もなく次女と葉君は東京に帰るので、老夫婦二人の静かな生活に戻る。ちょっと寂しくなるが、家族の変容、成長をいまだしばらく見守るべく、一年でも家族のお役に立てるような老人になるための訓練の元年に、古希からの時間を生きなおしたいと思考する私がいる。だからなのだろう、歩き始めたのは。
何が書きたいのかは判然としないのだが、判然としないま打たずにはいられない五十鈴川だより。打っていると今日も元気に新しい日を新鮮に生きねばとの思いが湧いてくるのが不思議である。
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