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2022-01-30

妻と薪づくりウォーキングに出掛ける前の五十鈴川だより。

 五十鈴川だよりの朝、という時間が、打てる余裕が、生活にあるというひと時が、老いゆくコンディションを整えるということが、ゆるやかに、好きになってきつつある。(他愛もない拙文なり)

もう間もなく丸10年近く 、1448回も打っているなんて自分でも驚きだが、自己慰安自己満足を自覚している私としては、いつの日にかの最終回を、悔いなく迎えるためにも、前回も書いたが柳に風、どんな日も陽はまた昇る、この世の片隅での超個人的なつれづれ戯れを、まるで子供に還ったかのように打てれば、もうそれでよしとする、ってな按配でゆきたいのだ。

わが故郷の五十鈴川のように、小さき細き流れを、与えられた命を全うにまっとうすべく、日々蛇行しながら為すがまま、為さぬがままに流れてゆきたい、のである。

ってなことを打っているうちに、一月も残すところ今日も含めあと二日である。世の中はオミクロン株の急拡大で大変な様相だが私個人は、恐れはするが、どこか覚悟を決めている生活をするしかない中、極めて穏やかな生活を持続できている。

精神安定剤としての私の薪

きっと極めて困難な状況下に置かれている方たちのことをおもえば、超極楽的に生きられている現在を、青い冬空の元肉体労働に勤しみながら深呼吸、今を感謝し生きている。

さて話を変える。先週末から薪づくりに勤しんでいる。とあるところに伐採したまま放置されている、ストーブに適した木材を大量にいただけることになり、切り倒して積み置かれた土場から引っ張り出して車に積み、家に運んでそれを下ろし、家庭用のチェーンソウで切り、それを積むという一連の作業を、やっているのである。

書くのは簡単だが、薪づくりにはそれなりの体力が必要なので、かなりの根性がいるのであるが、わずか正味二日間くらいの間にずいぶんの薪ができた。とくに昨日はひとりでほぼ一日薪づくりに精を出したので、かなりの薪を積む子ことができたし、今年の冬は暖房用の薪の調達は必要なくなったのだが、せっかくいただけることになったのだから、来年用の薪も作ることに決めたのである。

実は、昨年手術をしたことで、薪の調達にエネルギーがさけず、今年は冬用の薪が足りないと案じていたのだが、思わぬ大量の薪の調達がかなうことになり、ちょっとほっとしている、のだ。

何かと大変な世相ではあるが、家に薪ストーブがあるということが、私にもたらす有難さは何はなくとも大きいというほかはない。日中どんなに寒くても、家に帰ればあの暖かさがあると想うと、頑張れるのである。

ことさらな話はしなくても、薪ストーブがあれば冬の夜長、妻も 私もメルも花も暖房がとれる。くれぐれも火の用心点検をしながら、家の中に燃える生きている火がもたらす、人間に与える精神の安定は、何ゆえなのであろうか。(焼き芋もできる、煮込み料理には最適)

いきなりのゾロアスター教とか、護摩を焚くとか、闇夜を灯す篝火とか、太古から火は灯りついづけて、人間の奥深いところに語り掛けてきたのに違いないし、私もたぶん難しいことはわからないが、特に冬は薪の炎の揺らめきに癒され、家を建てて以来、この20年間の冬時間を過ごしてきたのだと思える。

だから老いてゆきつつ、冬の時間を有意義に過ごすためにも、薪の調達はオーバーだが、必死で取り組むのである。今日は妻との約束のウォーキングの日なのだが、薪の調達もかねてその周辺を歩くことに決めた。

妻は私と同じくらい薪ストーブをこよなく愛しているので晩年の夫婦時間、ウォーキングと薪づくり、野菜作りの3点セットで共に過ごす時間があれば、もうほかにことさらな会話は不要である。

というわけで、午前中は薪づくりとウォーキング、今年になり私は6回目、(妻とは2回目)である。

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