【春の雲かなたにトンビ地に雲雀】 一日一句を娘たち家族に奨められ、俳句帳などもいただいたのでつづけている。弓は65歳から、俳句は一応69歳の生誕日からということにした。あとは継続である。
弓と違って俳句は気楽に詠める手軽さがある。姉も俳句をやっていると聞いているので、やがて弓も声を出すこともかなわぬようになったときのためにも、思いついたら吉日、始めることにした。
まだ始めたばかりだが、何やらうれしい。どこか生活する中で自然と湧き上がる感光を、暮らしのあれやこれやを、限られた文字数の中で、表せられたら何やらどこか愉しい。
五十鈴川だよりは毎日は書けないのだが、俳句だったら毎日詠むことが可能におもえるし、時によったら数句詠むことだってできるかもしれない、などと考えてしまうが、ともあれ何らかの形で、継続して俳句を詠もうと、古希を前にして何やら粛然としてしまう、三日坊主で終わってしまうかもしれないが、とにかく今はただ継続したいとおもうわたしだ。
話を変える。先日の私の生誕日は春を思わせるあたたかいひであったのだが、この数日風が強く寒い一日が続いている。先ほど新聞を取りに行ったのだが、かなり冷えていた。北海道は猛烈な吹雪の大寒波に襲われているとのことである。青春の終わり、もう三十路に入っていた私だが、足掛け三回の冬を富良野で経験したことがある。
マイナス30℃を超えた寒さと吹雪のすさまじさ。今でも宮崎生まれの私がよくもまあ、富良野での厳しい生活に耐えられたものであると、我ながら時に感心してしまう。今日はこれから肉体労働アルバイトなので、またゆっくりと書くこともあると思うが、あの富良野体験で、私の中では何かがくっきりはっきり変わってしまった、とだけは言える。
あの体験がなかったら、まず岡山に移住することは思いつかなかったし、一から人生をやり直そうとの覚悟も生まれなかったことは、五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。
わたくしごときでも何度かのギリギリ体験を潜り抜けて今がある。尊敬する高齢の現代美術家の篠田桃紅さんのお言葉にあったと記憶するが、人生は一本の線であると。今日があるから明日があり、命の線は一瞬たりとも滞ることなく流れ、その都度の選択の日々を、ヒトは生きなおしてゆく存在なのだと、あらためて思い知らされる。
この年齢で初めて経験しているコロナ渦中生活、どこかこれまで経験してきた自分の歩みが、この非常事態を助けてくれているかのような気がする、今の生活である。
18歳から働き始め何とか糊口をしのぎ、今もまたささやかなフリーター生活。命あっての物種。生きのびる。なりふり構わず生活する。話は変わるが、私はひたすら愚直に 、けなげに生きている人間が好きである。とくにどん底経験を潜り抜けた人、いろんなアルバイトを若い時にしたおかげで、肩書や外見、権威を着飾るような輩は、本能的に見分ける。
身体を這(張って)ってささやかに、しゃんと立って働いている、とくに体全部を使って働いている肉体労働者に惹かれる。もっと言えば身体を使うことの喜びがわかっている、腕に自信がある職人さんたち、私に言わせればお百姓さんはまさに土の芸術家である。
多種多様な職種でコロナ渦中、我々の生活を支えている現場で働く、報道されない、目に見えない無数の人たちのことを想像する。サンテクジュぺりは本当に大切なことは目に見えないという。
リア王のグロスターは言う。目が見えた時はよくつまずいたと。嵐の荒野をさまよい無一物になり、80歳のリアは言う、わしは今まで何も気づいていなかったと。ヒトは(私は)なくしてみて初めて心から大切なものに気づく存在、なのかもしれない。
コロナが終息したら、また元の木阿弥になるのであろうか。コロナ以前と以後。私自身はどうなるのか、ならないのか。
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