また弓の話か、と思われる向きもあるかと思うがご容赦いただきたい。今年になり少し矢のころ合いが、ほんの少しだが落ち着いてきたように思えるので、今年一年は特に稽古を意識的に行いたく、なるべく短い時間でも総社まで出かけようと考えている。
あとは続けられるかどうかだが 、今のところ何とか続けている。今日も五十鈴川だよりを書きあげたら出かける。午後は長島愛生園で所用が在るのでゆく予定ではなかったのだが、ゆくことにした。
というのは総社で出会えた弓仲間の一人の(以前五十鈴川だよりでちょっと触れた方)I氏の存在がある。昨日はK高校が専用で使用していたので、午後2時半に道場に着き、多くの高校生がいなくなり一人で静かに稽古をしていたら、いつものようにK氏がゆっくり飄然と現れ、それからは二人だけで稽古時間が流れた。いい時間だった。
氏はぼそぼそと口先から五十鈴川だより読みましたよ、と直接私に語り掛けてくれたので、面はゆく私は照れたが、やはりちょっとうれしかった。声を出すこともそうだが、ひとりでも稽古は可能だが、気の合う仲間との稽古、それも世代が異なる仲間との稽古が私は好きである。
長くなるので短く書くが、社会の分断化、個人閉じこもり時代とでもいうしかない、極端に閉塞感漂う、私がこれまでの人生では経験したことがない、人間と人間の関係性の弱まりという状況が続いている時代、言葉数は少ないのだが修養を積むための、良き稽古仲間I氏がいることは、喜びである。ヒトには気の合う仲間、友人が不可欠である(特に私は)
昨日はI氏との二人きりでの稽古で、気の合う仲間の存在のありがたみを一段と感じながらの稽古をすることができ、そのことへの感謝、嬉しさが私に五十鈴川だよりをかかせているのである。私の住む西大寺から総社の道場まで往復通いながら、稽古をするのは時間的にも大変ではあるのだが、大変だと思うと行きどまるので、何とか今年から週三回は道場に通う時間を作りたいと思っている。
良き稽古仲間の存在が、私を総社に向かわせるのである。奥深き弓の世界の入口に入ったばかりの私であるが、分断時代を超え、共に弓に打ち込める仲間との世代を超えての仲間との実のある共有、出会いを素直に喜んでいる私である。
氏とはラインで関係性を深めてゆきたいと思っている、春である。
0 件のコメント:
コメントを投稿