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2021-02-07

穏やかな陽気の中弓の稽古、総社で出会えた弓仲間、I氏に弓の弦を張り直していただきました、そして想う。

 昨日は、穏やかな春を感じさせるのに十分な陽気に恵まれ、一日を気持ちよく過ごすことができた。妻が仕事だったので、午前中、私は昨年の9月の終わりごろから通っている総社の道場に稽古に行った。

道が空いていて予定よりも早く着いたら、道場にはまだ誰もいなかった。雲一つない快晴で風もなく、道場の床には春の陽光が 降り注いでいた。普段通り準備して、的前に立ち一回に4矢射るのだが、4矢めをひいていると土曜日の常連である1氏が姿を現した。

コロナ渦中、総社に通いだしておおよそ5カ月になる。I氏は私がわけもわからぬ中、昨年秋の総社のスポーツ大会に出た時に、チームを組んだ3人の中のおひとりである。以来少しく言葉を交わすようになった。5段の上級者、言葉、物腰が柔らかく、こと弓に関しては先達先輩である。

名刺も差し上げていなかったのだが、詳細は省くが、五十鈴川だよりを読んだといわれ、昨日初めて名刺を差し上げた。

わたしは、義理の息子の影響で、たまたま老いてもできそうな、いわば軽い気持ちで弓を始めた。65歳の誕生日から始めたので、もう間もなく丸4年になる。限りある時間、あれもこれもはできないと一度断念したのだが、故郷の兄の家の近くにある、個人幸節館道場、I先生、御年85歳との出会いが私を再び弓への世界を導いた。弓歴70年芯から弓を愛する方である。

コロナ渦中のこの一年、総社の道場に通うまでは家で巻き藁稽古をするだけであったが、I先生に岡山で定期的に稽古できる場所を見つけなさいといわれ、縁があったのが総社の道場だったのである。縁としか言えない、ほかは私とは水が合わなかった。

以来、5カ月が過ぎようとしている。 総社の道場で知己を得たI氏をはじめとする、世代を超えて弓の稽古ができる仲間との出会いは私にとって大きい。I氏はゆったりと落ち着いて、至らぬ初老男の弓の所作ほかを指摘してくれる。有難い方である。

何事も身につくのには、時間がかかる。この年齢で、よもやまさか弓の稽古に、今風に言うならはまるとは思いもしなかったが、何故か今のところ継続して定期的に弓の稽古を続けている自分がいる。

平均すると週に2回は西大寺から総社に通っている。先行きの見えないコロナ渦中生活、弓に打ち込める身体が未だあるということの有難さ、生活の中に楕円の両極、肉体労働アルバイトと体と精神を研ぎ澄ます弓の稽古、老いゆく中集中力を養うのには必須である。I氏を含めた総社で出会えた弓仲間の存在に私は深く感謝する。

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