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2020-03-29

心頭滅却して過ごす、コロナウイルスパンデミックの渦中の静かな生活。

日曜日の朝起きて洗面を済ませ、弓の巻き藁をやっていたら朝日が差してきた。この数日続いた雨の後であったので、実に気持ちがはれ上がり、にわかに五十鈴川だよりがつづりたくなった。実に精神というものは天候に左右される。昨日の予報では関東エリアは雪と報じられていた。(娘の住む窓から望める雪景色が送られてきた)

さて、大都市、人口の多いエリア千葉県などではコロナウイルスの感染者が日増しに増えていて、まさに先行き予断を許さない状況が続いている。この調子では地方の人口密集地でなくても、不要不急の外出は控えるようにとのお達しが出るのも予想される。

わたくしごとになるが、今年に入り私はアルバイト、お墓参りの帰省や、塾のレッスン日ほか(先週の孫の上京お誕生会も含む)、きわめて個人的な用事以外ほとんど不要不急の外出はしていない。

もっと書けば、この数年本当に 外出しなくなった自分がいる。老いるにしたがって、動きまわらなくても足りる生活を好む方に変化しつつあるのである。とはいうものの、いまだ私は基本的に旅が好きであるし、絶対矛盾を抱えつつも、日常の中に非日常的な感覚を取り込めるような生活ができないものかと思案する。いよいよもって初めて経験する老いの下り坂を、前向きに下ってゆきたいと思わずには、居られないのである。
久しぶりに読み応えのある小説を読んだ、作者の意気が素晴らしい

先のことはわからないが、コロナウイルスが終息したら土取さんの企画を推し進めるためににもゆっくり動き回らないといけないし、コロナウイルスの発生する前からほとんど人混みの中に出掛けないような暮らしをしていたから、さほど私の暮らしにはことさらな変化はない。

大変なのは就活中の若い人や個人事業主、現役バリバリの世代や、子供たちである。娘たち家族のことのみならず、人類全世界の家族が未曾有の未知のウイルスにおびえた暮らしを余儀なくされている。果たしてどのように生活すればいいのか。私自身も(が)問われている。

私のアルバイトの仕事は4月から働く時間数が増える。(増やしてほしいと頼まれた)前向きに考えることにし、頭で考えるのではなく、自分と向かい合えるこの仕事が気に入っているので、コロナウイルスが終息するまではただ体を動かしたいと思う。そしてそれ以外の時間は生活の些事に重きを置いた暮らしを心がけるというくらいである。

このところ、以前にもまして落ち着いて本が読めるのも得難い時間だ。何事があっても時間は過ぎてゆく。ならば心頭滅却して過ごすにしくはなし、といった心境である。

2020-03-27

加熱するコロナウイルスメディア報道をしり目に、雨の朝、春を告げる草花の静けさに想う。

もうほとんど映像はみず、とはいっても海外からのBSでのニュース映像は時折見ている。映像の瞬間的な効力は文字とは比べ物にならないので、映像に弱い私は努めて見るのは避け、もっぱら文字で想像を働かせるように、コロナ報道に関してはしている。

私自身がこれまでの人生で経験したことがないパンデミッククライシスが、全世界で起こっている。主に弱っている高齢者に取り入るたちの悪い新型コロナウイルスである。

先行きの予測、事態がどのように推移するのかまったくわからいいま、私のような輩にできることは、静かに落ち着いて手の届く範囲での生活を心がけるだけである。衛生環境の悪い国々、医療設備の弱い国々の高齢者は、大変である。

誤解を恐れずに言えばなる様にしかならない。あらゆる種類のがんや、疾患と同じで自分がかかったら覚悟を決めるしかない、というくらいの今は認識だ。(ワクチンや新薬の開発を待つしかない)

年齢が上がるにしたがって身体は弱り、そこに病魔が忍び寄ってくるのは、ある意味自然の摂理だと思うからである。いくらお金を積んでも特効薬なんてものはないし、私のような生活程度のレベルの者は、いつも死とは隣り合わせくらいの覚悟が必要だとは思ってはいる。

だがいつも書いているが、当事者になったら慌てふためくのには違いない。ひとによってインフルエンザにかかる人もいれば、かからない人もいる。陽性でも元気な人もいれば、たちまち重症化する人もいる。ひとによってこうもちがうのである。

新型コロナウイルスはこれまでにない厄介なウイルスであることが、にわかぼんくらの私でもようやっとその程度の認識である。
玄関の花は季節によって妻が入れ替える

だからこの話題はこのあたりでよす、明るい話題をこそ私は望む。いたずらに情報に一喜一憂せず、くいなくいちにちを過ごすことにこそ、初老男は情熱を傾けたいと思うのである。老いの残り火をいかに楽しめるか、楽しめないのか、といったらカッコつけすぎか。

話を変えるが、とはいってもコロナウイルス 狂騒曲のおかげといったら言い過ぎかもしれないが、私にとってはマイナス面ばかりではない。それはより一段と、もっと言えば以前にもまして、死を意識するようになってきたのである。

先日妻と二人話し合って、孫の顔を見に上京したのは、万が一状況が一変したら会いたくても会えなくかもしれないと思ったからであると、今にしては想うくらいである。

この週末の不用意なお出かけは慎むようにとの要請が出る前であったので、一週遅れたら自粛していただろう。孫のお誕生会には参加できなかったかもしれない。このように、間一髪の決断に運命は左右される。人心は風のように揺れ、状況は刻一刻と変化する。

悔いなく生きる。悔いなく生きるとは?この数十年のグローバル化、都市化社会の根底を揺るがしかねない今回のコロナウイルスパンデミック狂騒は、一体全体何を語り掛けているのか、答えのない問いを、五十鈴川だよりを書きながら 想う。

2020-03-25

コロナウイルスの広がる中、昨日【ベルの音が聞こえる】という自主映画の完成試写会に行きました、そして想う。

当然のことと予想していたが五輪は延期となったが、そのことについて書く気はない。

一昨日の夜遅く東京から帰り、昨日は、わずかのシーンだがボランティアで演じてとして参加した、市民手作り映画の試写会(ハンセン病にかかって強制隔離された、長島愛生園の中にかってあった高校生の苦難の青春を描いている)がない内で行われ見てきた。

私を含めてほとんどが素人での限られた予算、時間の中で、調整 撮られた自主映画だが、それなりに編集されていて、参加してよかったと思う仕上がりになっていてほっとした。

早くコロナウイルスが終息して 公に試写会ができることを願わずにはいられない。昨年夏の暑い時期、3回終日ロケに参加しただけではあるが、映画の面白さというものをこの歳で再確認した。しゃべっている自分を客観的にみることが、何故かわからないが、気恥ずかしくも、どこか他人を見るかのように見ている自分がいた。

高校生を演じている普通の人たちの演技が自然で、プロとは違う魅力があって、好感をもって 見ることができた。ともあれDVDとして記録に残るフィルムに出演できたことで、自分にしかわからない経験したことのないささやかな喜びが持てた。いずれのせよ、近所のHさんとのご縁でオーディションを薦められなかったら、出演の機会はなかったであろうから、縁の有難さに昨日は素直に感謝した。68歳のおじじの良き思い出を孫に残すことができたこと、それが一番うれしい。

(撮影の日のことは、五十鈴川だよりに書いていると思うので、読んでもらえると嬉しい)集団で力を合わせ何かを作ることは大変だが、経験した者でないと分からない共通体験の喜びが共有できるので、きっと病みつきになるのだろう。初老男ではあるが、若いころ演劇をまなび、演じ他人になり変わるという不思議世界の虚構の真実に、何か再び火が尽きそうな予感がある。
二歳の望晃(のあ)くんに読み聞かせする妻

話は変わる。世界はパンデミックなコロナウイルスの感染の広がりで、メディア報道の大部分はまるでジャックされたかのようだが、私としてはできる限り浮き足立たないように、静かに落ち着いた暮らしをしたいのであるが、こればかりは感染の予期しえない広がり方、爆発で、人心がとんでもない方向に揺れないように祈らずにはいられない。

それにしても、このようなコロナウイルスの広がりと危険性を年明け早々から、だれが 予想しえたであろうか。まさに世界は予期しえない出来事に翻弄されるというほかない。だが、できる限り右往左往しつつも、右往左往はしたくない。じっと揺るがない大木にあやかりたい。

悲観的にばかりなっていたのでは、物事は好転しない。ピンチのこういう時にこそ自分が試される。静かに花を眺め春の息吹生命力にあやかる冷静さが必要な私だ。

今日は遊声塾のレッスンの日だが、私自身もコロナウイルスの広がりにどこか心理的に脅かされるのが自然である。がしかし、いたずらにおびえてもなるようにしかならないという、諦念に近いものが私の中にないといったら、嘘になる。これ以上は書かないが、どこか私は声を出すことで、免疫を上げコロナウイルスを防ぎたいと念っている。

コロナウイルスの広がりを防ぐ特効薬のようなものがない現状では、いたずらにおびえて過ごすよりは、一人でも声を出したりしていたいのである。悲観的なネガティブ思考に陥らないためにも、私はひとり自分を鼓舞する。家族のためにも。


2020-03-20

孫に会いに上京する朝の五十鈴川だより。

今日から3日ほど孫の顔を見に上京することにした。出掛ける前の朝の五十鈴川だより。

イタリア、ヨーロッパ、全世界にコロナウイルスが広がり、パンデミックにおびえ、懸念され、その報道のヒートアップは過熱するばかりである。日本でも日々感染の広がりはやまない。

ウイルスと戦争状態になっているといってはばからない、世界に、一言のあたえる影響の桁が違う政治家の発言には開いた口が塞がらない。人類は歴史的にウイルスと長きにわたって共存してきたと、信頼するCW・ニコルさんは語っている。散々な苦難のウイルス感染症の歴史を人類は生き延びてきたのである。

だが、五十鈴川だよりではこれ以上の言及は慎むことにする、どこか私にはなる様にしかならないという気持ちで、ウイルスの終息を祈るばかりである。

もう生物としての大きな役割は果たした初老男だからこのような能天気なことが書けるのだが、成長期のお子さんを抱えた方々は、想像を絶する不安を抱えた暮らしが続く、そのことに胸が痛む。劇的改善は望めそうもない。耐えながら生きるしかない。経済的な打撃は空前絶後に及ぶ可能性があり試練の時というほかはない。

よもやまさかのことが、起こるのだということの実感を、この歳で改めて 思い知らされている。ヒトは危機に際して、いかに振る舞いいかに生きるのかということを、あまたの国の人々が潜り抜けて生き延びてきたのだということを、思い知らされる。

1999年初めて手にした先生の御本、いまあらためて読み直している

だがやたらにおびえていても始まらない。考えた末、上京することにした。新幹線の乗客数も半減し、人々の行動が自然自粛している最中ではあるが、妻と話し合い二人して思い切ってゆくことにした。

冗談ではなく、外出禁止令 などがわが国でも出ないとも限らない、一寸先は余談を許さない事態が起こらないとも限らない。細心の注意で行動しながら、初老夫婦は悔いなく2歳になった孫の成長を祝いたいのである。それだけである。

時間がないので簡略に記すが、放射能とかウイルスは目に見えない、匂わないだけに やたらにパニックに陥りやすい(私だってそうなる可能性がある)が、私はどこかで腹をくくっている。(くくるしかない)

このひと月以上、アルバイトとレッスン日以外遠くに出掛けていない。久しぶりの遠出、二人の娘たち家族のいる東京には人がわんさか暮らしている。そこで生活して居る人々は、おそらく人混みの中で生活するしか、ほかに方法がない(逃げられない)。

生活するとは、動くこと交流することに他ならない。皮肉にもいろんなことが今回のウイルス騒ぎの渦中で見えてきたことがある。素晴らしい人間力の発露と、それとは真逆の発露である。 どのように生活し、生きてゆけばよいのか初老男生活の今が試されている。


2020-03-13

望晃(のあ)くんの2歳のお誕生日の朝におじじは想う。

お爺バカになるが臆面もなく。今日はノアくんの2歳の生誕日である。まずは心からおめでとう。コロナウイルスの広がりがなかったら上京したかったのだが、間接的にでも、五十鈴川だよりで気持ちを伝える。

そして何よりもレイさん、娘にもお祝いの言葉を送りたく思う。いま、コトバではなく気持ちを伝えました。今この時代に世界でどのくらいの数の子供が2歳のお誕生日を迎えているのか、おじじは知りませんが、間違いなくノア君はその中の一人です。(ノア君とすべての子供におめでとうといいたいです、保育園のお友達にも)

私たちの時代と違って、日々動画や写真でノア君の成長が知らされているから、おじじはバーチャルには何とはなしに、その成長を身近に感じています。私(たち家族)にとってはノア君が誕生してからと、それ以前ではまったく何かが変わってしまいました。

それは、コトバでは到底表現不可能な、命の輝きの不思議さというほかはないオーラに満ちている、あなたの存在です。おじじは、あなたがもっともっと大きくなるまで、ひょっとしたら存在していないかもしれないので、ちょっと気恥ずかしいのですが。お便りを書くように、おじじの今の気持ちをいくばくか、五十鈴川だよりでお伝えしておきたいのです。

正直に書きますが、おじじはよもやまさか自分が孫に恵まれるとは、娘が結婚する時までは想像もできませんでした、が娘が結婚してからは心の片隅で、いつかはおじじになれる日が来るのを待ち望んでいました。

2年前ノア君が生まれてからは何かがやはり私の中で明らかに変わりました。それは言葉でいえば簡単なことなのです、当たり前、おじじになったということ、がすべてです。

こればかりは、なってみないと分からない心情というしかないほどの、未経験の感慨でした。あなたが、私をおじじにしてくれたというまぎれもない事実なのです。

春を告げる我が家の沈丁花
レイさんと娘の間に授かった、命の連鎖の恵みの有難さに、おじじは生きてきてよかったとのおもいに打たれます。若い頃のおじじは結婚もできるとは思いもしなかったし、現在のおばあちゃんに巡り合わなかったら、娘にも出会えなかったでしょう。

おじじが若いころ影響を受け学んだ演劇の先生が、人生とは出会いであるとの言葉を残していますが、まさにあなたはおばあちゃんとの出会いからすべてが始まったとすると、あなたのお父さんとお母さんとの出会いの、一粒の果実なのです。唯一無二、かけがえのない存在なのです。

繰り返します、本当におめでとう。そしていまおじじはこれからの人生を、いかにして、おじじらしく家族のお役に立てるかを考えながら、老いゆきながら五十鈴川だよりを書きつつ考え、あなたや家族にとってささやかに役に立つおじじを目指します。約束します。

あなたがもう少し大きくなり、私が元気で動ける間ともに旅をし、野宿をし焚火などしながらご飯を作り語り合うのが楽しみです。だからおじじは今しばらく頑張ることにします。

2020-03-11

東北津波原発事故大震災の朝に想う。

東北原発津波大震災から9年が経過、(昨日の母の命日は東京大空襲の日でもあり、一晩で10万人が亡くなったとある。一口に10万人、大虐殺である、わすれていいはずがない)翌年、私が大槌町に瓦礫の撤去に数日行ってからも、まる8年の歳月が流れた。8年前といえば長女がまだ大学生で、私も今よりずっと身体が動いた。

震災で被災され今も仮設で暮らされておられる方が、いまだに5万人近くいると伝えられる。が現実の詳細な生活の弱者の実態は、そうは微に入り細に入りは伝わらない。戦後も75年が経つわけだが、年々の高齢化の波で同時代の空気を体験した方々がお亡くなりになってゆくにつれ、記憶の伝道者の生の声を聴くチャンスは減り、風化は避けられなくなってゆく。(でも当事者たちには戦争はいまだ終わっていない)

だがそれでいいのかというわが内なる声が、かすかにわが老いつつある体に、まるで老いに逆らうかのように、年々響いてくるのはなぜなのか。わからないが事実なのである。だから最近、その響く声に素直に耳を傾け、これからの時間の中で、自分に何ができるのかどのように生きるのかを問いながら、ストイックに生活したいという気が深まる。
妻のかぶと油揚げのお味噌汁寝起きの一杯、しみる

コロナウイルスの発生で、あらゆるイベントや震災の追悼行事 、卒業式、もろもろ引きも切らず、自粛が続く状況は、名状しがたいこれまで経験したことがない、いやな感じである。緊急事態法などが次々に通る。うまく言えないが何か嫌な感じである。隙に乗じてというのでなければいいのだが。

こうも次々に予測しえない事態、ウイルスに関する得体のしれない情報が変異のように飛び交うと、なにを信じていいのかを分からなくなる。(人の心の隙間を突いての悪の手が忍び寄る。危ない気持ち悪い)私のような朴念仁は、特にそうなりやすいので、余分な情報は取り込まず、できる限りヒトとの接触を避け、どこか腹をくくって生活するしか、ほかに私には方法がない。静かに満月を眺め無言の対話をし、春の小花をなめる。水滴を眺め、おいしいお味噌汁を飲む。夜明けの朝日を浴びる。

信頼できる方の言葉にあやかり生活しながら、今しばらく推移を見守りながら浮き足立つことのないように静かに暮らすだけである。論旨に脈略のないとりとめなき朝の五十鈴川だよりになってしまったが、記憶の風化を自分に戒め、津波原発事故ほかでお亡くなりに方々のご冥福を祈り、そして被災され今現在も苦境を生きておられる方々のことを、想う。



2020-03-10

2020年・雨の朝、母の命日に想う。

母の命日の朝である。この年齢で母のことをおもいだしながらつづるのはさすがにどこか物悲しくも気恥ずかしくもあるが、臆面もなく書く。一対の両親のひとり、母にはただただ感謝しかない。

よくぞこのような愚息を見放しもせず、育ててくれたことに関して、あの母のもとに生まれて自分は幸せであったと、この年にして今更ながら想う。娘たちが自立し、孫に恵まれ自分が高齢者の仲間入りをして深く痛感する。

戦前戦後、コトバでは表しきれない、繰り返し訪れたであろう艱難辛苦の中、よくもまあ絶望もせず、5人の子供を育て夫婦二人乗り切ってきたものだと、ひたすら私は畏敬する。あの両親の歩んだ苦難に想いをはせる今の自分がいる。

今世の中はコロナウイルスの話題が多くの国民(諸外国でも大変な状況が続いている)の心を席巻している(かのよう)。我先にマスクを、トイレットペーパーを、とパニック化に走る映像他を、どこか遠くから眺める自分がいる。(だがそんな人たちばかりではないほとんどの人は冷静に暮らしているのだ)

いつの時代もそうだと思うが、困難な時にこそ自分の中の何かが試されるのだという思いが私の中には、ある。もし自分がいざなったなら、といった場合の想像力を持たねばという気がどこかにある。

そのような心根の、端緒覚悟はやはりどこかであの両親からの教えのようなものが、私の中にあるからではないか(とおもえる)。ヒトは抗いえない生れ落ちた時代・運命を生きるほかはない、もっと言うならそこから出発するしかない。自分自身で考え行動するしかない。
我が家の春を告げる水仙

若いころは人並みに悩んだりしたものだが、三十路を過ぎ漸くにして、胎が決まってきてからは、物事が好転してきて何とか現在を生きられている、そこにこのコロナウイルスの予断を許さない、人心の寛容に水を差すような出来事が起こり、日夜そのニュースが活字や映像、ネットなどで 報じられると、あの両親ならどう対処したであろうかと、母の命日の朝に思いを巡らすことは、大いに私にとっては大切なことである。

あまたの困難苦境から逃れえなかった膨大な死者の死者の犠牲の歴史の上に、今の我々の飢餓のない暮らしというものが築かれているということへの感謝の想像力は決して無くしてはならないものだ、と念じいる。(方や飢えた暮らし、かたや飢えることなく富を享受できる暮らし、この二極構造の乖離はこの数十年ますますひどくなっている)元気に生きていられる今、余裕があるうちに思考の整理確認をしていておくにしくはない。

話は変わるが、私がシェイクスピアの、かなりの作品に個人的に惹かれ、塾まで立ちあげて今もその詩人の魂の言葉に惹かれすがるのは、登場人物の多くが抗いがたい運命の岐路のにさらされるからだ。いかに生き続ければいいのか、いけないのかという人類普遍の解決されない、答えはないが、生きてゆかなければならないという根本命題が描かれているからだ。(と考えている)


2020-03-08

雨の朝じっと静かに生活する喜び有難さを噛みしめる。

今日も快適に目覚めた。土日はアルバイトがないので、目覚めた時にできる限りゆっくりと起きるようにしている。今朝は4時過ぎにに目覚めたので、朝ぶろをいただき、妻が作り置きしていてくれた、アサリのお味噌汁をいただき、コーヒを飲みながら新聞に目を通して後の五十鈴川だより。

綴るわがままの繰り返しに、何の意味があるのかなどと考える、近代人的な病が私には根本的に欠けている。本能のままに動物的に。そういう意味では小さいころから遊びほうけて、保育園も幼稚園にも行ったことがなく、いきなり小学校で文字を教わった時の戸惑いは、今も心のどこかにトラウマとして、私のその後の人生に与えた影響はいかんともしがたく在る様に思える。

だあれもいないわが心の五十鈴川・静かに流れる
本当に18歳まで、私は学ぶということを真剣にしてこなかったのだと思う。(でも真剣に遊んできたのだ)もっと書くなら、そういう環境に生れ落ちなかったからだろう。両親は北朝鮮で敗戦、兄姉、幼い子供を二人抱えて引き上げてきて、ゼロから借金をして家を建て、次々に生まれる子供と、老いた祖父母を給料で養うだけでまったく経済的に余裕はなかったはずである。

だから、家にはまったくといっていいほど本の類がなかった。文字は教科書と漫画で気が付くと自然習得していた。まだ私の幼少年時代は どこかのんびりしていたし、親たちは戦後生活を再建することに躍起になっていたし、子供の教育などに配慮する余裕がなかったのである。
最近良き本に巡り合う、ありがたいというほかはない

だからほとんど勉強しなさいという言葉を私は親から聞いた記憶がない。中学高校になっても、私は限りなく遊びほうけていた。敏い友人たちは学んでいたのに怠惰で軟派な性格の私は、好きなことにのみ熱中し(逃げ込み)気が付いた時には、少年老い易く学成り難しという言葉が、老いゆく今の私の体にに響き渡るのをいかんともしがたく、受け止めている私である。

でもまあ、よたよたとではあるが、遅きに失したとはいえ、徐々に学ぶことが好きになってきたというか、本を読んだり、映画などに即発されると風に吹かれて旅がしたくなり、お金を貯めては実行、様々な人に会い、大恥をかき無知の涙を痛感し反省し、この目で世界の成り立ちや、奥深さを体感し、徐々に学ぶことの大切さにようやくにして目覚め、今もかろうじてささやかに学び続けている。(のだ)

未知と出合い、無知を知る。その繰り返しの中で、まったく今もって無知丸出しの私であるが、気づいた時が一番若いと母に教えられ、今もその言葉にどこか励まされている自分がかすかに存在している。

五十鈴川だよりを書ける間は、学ぶということ、いかに生きるのかということをささやかに我が身に問い続けないとまずいと思う自分が、初老の体の奥深くにいる。そして想う、18歳までほとんど脳を使ってこなかったのだから、与えられたこれからの時間は学びながら、非力ではあれ沈思黙考し、時に勇気をもって行動し発言する初老男でありたいと願う。

今日は国際女性デーである。新聞の書評欄に加藤陽子先生がM新聞にお薦め図書三冊をあげておられる。あさっては母の命日である。大正昭和(もちろん明治からの女性の置かれたこの国の歴史)母の生きた時代の男の側からではなく、女性の側からの歴史を学ばなければいけないと、私は反省する。

逆説めくが、コロナウイルスのおかげでこのところ、以前にもまして静かな生活、じっくりと腰を落ち着けての読書は、老いゆく我が身に学びの気づきの喜びを知らしめる。





2020-03-06

コロナウイルスの新型肺炎に委縮しない、初老ライフをいかに生きるか思考する。

このところの五十鈴川だよりはもう限りなく、わがままあるがまま、もっと書くなら自由自在レットイットビー、人生の旬の季節はとうに過ぎ、はじめて経験する、老いゆく未知のゾーンにいよいよ入ってきたのだという実感がある。だが、これからをこそ面白がりたい、いろんなしがらみを超え、身体が動かなくなる前の、老いゆく時間をこそ楽しみたいと私は考えている。

子供たちが自立し、孫にも恵まれ、夫婦二人の静かな暮らし。でも今の私にはこれが実にうれしくもありがたい。世の中はコロナウイルスの新型肺炎の話題で、引きも切らない大騒ぎの体をなしているかの感が否めないが、私自身の暮らしはまことに持って申し訳ない程度に、穏やかで充実したつましい生活である。

何より、コロナウイルスの新型肺炎の渦中なので、レッスン日以外はアルバイト肉体訓練に出掛けるのと、散歩と買い物に出かけるくらいなので、以前にもまして静かで落ち着いた暮らしが送れているのだ。

絶対矛盾を生きながらも、できる限りネガティブにならず、可能な限りのささやかなポジティブさを持続するためにも、沈思黙考ライフを自分に課している、そんな趣の生活を意識的に実践している。

夢が原で草刈り機とチェーンソーは 使ったことがあり、トンカチ、スコップ、のこぎりなどの手動工具も、富良野塾でいやというほど使った経験があるが、それ以外の耕運機や工具は、ほとんど使ったことがなかったので、この一年半随分とそれらの、工具や機械とと共に時間を過ごしているのだが、やる行為動作によって道具や機械が変わると、必然的に脳の指令を出す部位が、前頭葉や海馬などと違っているのだという気がする。

コロナウイルスの新型肺炎のおかげで静かに本を読む時間が増えた
物を書くとき、パソコンに向かう時、声を出すとき、弓をひくとき、本を読むとき、散歩をするときと、草を刈っているとき、クローバーの根を採っているとき、料理をしているとき、掃除をしているとき、使っている脳の部位はおそらく違うのではないかと、想える。

だからなのだ、私が体動かしの仕事にことのほか執着するのは。インドアとアウトドアとの往復が私にとっての健康体を維持するのに欠かせないのは。

確かに寒い日も暑い日も、ひ弱な現代人の初老男の私にとっては大変な日もある。だがそんなことは先人たちのあまたの困難苦労を想像すると、なんでもないといえるくらいのちっぽけな可愛いものだ 。

健康の有難さ、存在していることの有難さを、こころから知覚っているものは救われるような気が最近とてもする。さあ今日も体動かしアルバイトに出掛け一日が始まる。

2020-03-04

コロナウイルス新型肺炎のパンデミックな広がりの渦中で想う。

正直こうもコロナウイルスの新型肺炎に関する話題に、メディア報道が席巻されてしまうような事態が長く続くと、いささか倦んでしまう。

が、だから冷静に推移を見守るしかない。絶対矛盾ではないが、間接情報に触れるのは新聞を注意深く読むくらいで、画面を通しての情報はほとんどスルーしている。繰り返し何度もかいているが、できるだけ静かに暮らし、生活範囲の中で接する人との会話をするのみで、足りた初老ライフを過ごそうとしている。

ひとりで働き、五十鈴川だよりを書き、一人で声を出し本を読み体操をし、一人で弓の巻き藁をし、買い物をし、妻とDVDを見、犬と散歩し、墨をすって文字を書き、手紙を書き掃除をし等々を繰り返して、コロナウイルスの新型肺炎の終息を祈っている。

世の中の子育て世代の抱えている困難を想像すると気がめいり、安穏と五十鈴川だよりを書くのも時に萎えてしまう。二人の娘家族は東京暮らし、やはり心配である。3月中旬には初孫が2歳になるので上京する予定だったのだが、揺らいでいる。(でも何らかの方法で会いにゆきたいと考えている)

だが誤解を招かないように想うのだが、見えないウイルスとの接触をさける手立てのみに心労を重ねるような暮らしが、いつまで続けられるのか、続くのか。

こないだ見たDVDの原作、このような記者がいることに希望が持てる
オーバーではなく人類史上初といってもいいくらいの、これまで体験したことのない、まさにSF的未曾有の心理的ゾーン、未知との遭遇、岐路に立たされている不気味さを多くの方が感じ、垣間見ているのではないかという気がする。(私だってそうだ、夢かSFのお話であってほしい)

見えない闇の中のウイルス、処方箋がないのだから、信頼できる識者の言に従い、じっと嵐が過ぎるのを待つほかに方法がない。だからこの際発想を変えて、静かに落ち着いて生活する自分なりの暮らし方のようなものを、とくに高齢者世代は考えることに時間を割くべきだと私などは考える。

経済の停滞、生活の困窮、入試他、あらゆる世代、多分野において次々に湧いてくるような困難の 連鎖は、しばし止むことはないだろう。だが命ほど大切なものはないと考えるなら、国民とくに責任世代は落ち着いて連帯し、クラスター的な発症を避けるべく行動しないと、と初老男は考える。人類はおおいなるものに試されているのかもしれない。大人はおとなしく落ち着いて行動するしかない。付和雷同、流言飛語は厳に慎むべきである。

未知のウイルスに対して免疫を上げ、あらがうために は何をしたらいいのか?夕方買い物帰り、上空に浮かぶ半月の月の輝きに見入りながら、想う。

2020-03-03

ご先祖の地、宇納間にできた親戚M兄の絶滅危惧種的存在感に感動する。

五十鈴川に還ったり、土取利行さんにに会いに行ったりとか、特段の出掛ける用事がない限り、この数年あまり家から出かけないようなルーティン暮らし、レッスン日以外人混みの中に出掛けない暮らしなので、私と妻はおかげさまで今のところ、静かな暮らしを享受できている。コロナウイルスは及んでいない。

パンデミック。世間は学校が閉鎖になったり大変な様相を見せているが、五十鈴川だよりではこの件に関しては書くことは控える。じっと推移を見守り、終息を祈るのみである。

さて、先の帰省で改めて老いてゆく今後のお手本のようにありたいと思える、私より年上のご夫婦の素晴らしさを 今回も再認識した。一組は弓の先生ご夫婦であり、もう一組は宇納間のご先祖の地で出会った日高ご夫妻である。

いずれのご夫婦とも昨年の2月の帰郷でお会いしたのだが、以後帰るたびに会っているので今回で5回はお会いしている。帰郷の度に弓の稽古、宇納間もうでは欠かさないようになってきた。会うのが楽しみなのである。

両ご夫婦がかくも私にとって魅力的なのは、外見とは異なりまったく老いというものを感じさせないからである。自立した老いというか、老いを悠々と生きておられるその存在感、自信というしかない、これまでの歩んでこられた 重みが風格となって漂うのである。

これまでの人生でこのような市井人にあってこなかったせいもあり、目からうろこのようにわが故郷に、このように今の私を魅了する先輩がいるということに、言うに言えぬ喜びと誇りを感じるのである。あのように淡々と時を充実して過ごせる大人(たいじん)にあやかり半歩でも近づきたいと思う殊勝な私なのである。

ゆえに、車を運転してでも老いゆく私の足は故郷を目指すのである。弓の先生は84歳、M兄は75歳。いずれもかくしゃくとしている。なぜかくもお元気なのか?
M兄の作った見事な箒、2本もいただき車に積んで帰ってきた

今日はM兄のことにのみ触れるが、ほんの若い時の一時をのぞいて宇納間から出ておらず、今現在M兄 が体得してきた数々の生きていく上での生活上の知恵はおそらくご先祖から受け継いできたものであろうと、確信する。素晴らしいというほかはない。

イノシシの罠猟など、その最たるものではないかと想像する。鉄砲ではなく罠を仕掛けて捕獲するのである。このようなことが現役でやれている高齢者がわがご先祖の地に健やかに存在していることに驚嘆する。(昨年末から今年のかけて12頭捕獲したそうである)

M兄は大柄な体躯なのだが、手先が器用で大工仕事から、箒づくり、ドラム缶ストーブなどなど自力で創る。農の仕事(お米、お茶、シイタケ、多種類の野菜、珍しい大根等々)から生きてゆくに必要なことはほとんどを体一つでこなせる、まさにお百姓という言葉を体現具現している、現代ハイテク都市文明の中にあっては、まさにローカルの雄、絶滅危惧種的人間なのである。(奥様のE子さんも同類、まさに夫唱婦随理想のカップルである)

私のような都市生活が長く、口先三寸的な軟派人生を歩んできた輩とは根本から異なる、まさに地と体が一体化した、一言でいえばカッコイイ男なのである。同じ性であるM兄に私は臆面もなく、親戚づきあいを申し出たのだが、いいよといってくださったときの、私のひそやかな喜び、安ど感は格別のものだった。

還暦以後ご夫妻と出会うまでは、私はご先祖の地をさまよう亡霊のような気分を時に味わっていたのだが、今は違う。心おきなく訪ねてゆける親戚ができたことで、私の中の亡霊は消え、積年の落ち着かない満たされない宇納間逍遥にピリオドが打たれたのである。








2020-03-01

先週軽自動車で故郷に帰ってきました、そして想う。

日はまた昇る。久しぶりの五十鈴川だよりである。先週の木曜日20日の夕方から25日火曜日の夕方まで、5泊6日故郷に帰ってきた。

コロナウイルスの新型肺炎のこともあって汽車を避け車での移動を選択して帰郷した。我ながらよく運転した。実質兄貴の家に宿泊したのは丸々三日間で、行きと帰りは車の中で仮眠をとって走り続けたので故郷での滞在時間は少なかったが、有意義な時間が流れて、思い出に残るとてもいい帰省旅となった。

私の小さな軽自動車でよくぞ往復走ったものである。正直、コロナウイルスの新型肺炎の騒ぎがなかったら、運転は避けていたかもしれない。実は私の軽自動車は助手席を倒しスライドさせ、隙間を平らにする工夫をすると、大人一人が横になれ、眠ることができる。

平らになったところに毛布を敷き詰め、古い布団を乗せ、寝袋や枕を備えれば、斜めに少々窮屈ではあるが足先が伸ばせる。睡魔には十分太刀打ちできるくらいの仮眠は取れる。妻がスマホで聴けるラジオのアプリ、ナビ他あれやこれや車内環境を万全にしてくれる。密室で子供に還ったかのように何故かうれしい。

今の軽自動車で帰るのは今回が2度目だが、行きと帰り、疲れたら休み、車中仮眠が取れたことで、時間を気にせず気ままな帰省旅を、今回久方ぶりに堪能することができた。何よりも現在の自分自身の体力気力測定ができたことが一番よかった。今しばらくは運転できる自信がついた。

行きは休み休み高速と一般道を半々くらい走った。金曜日朝九州に入り、熊本経由高千穂(大好きなチャンポンで遅めの昼食)をのんびりと越え、宇納間に入り、一目日高E子さんにご挨拶し5時過ぎに兄の家に ついた。

土日はふるさとの空気をいっぱい吸ってのんびり英気を養った。どのように過ごしたのかはまた後日書くことにするが、毎年帰省するたびに私も含め兄姉含め、私の大好きな方々も年齢を刻んでいる。でも有難いことにみんな元気で私を迎えてくれ今回もまた、やはりふるさとならではのかけがえのない、たまさかの幸福時間を過ごさすぇていただいたことの有難さは、到底私の筆力では表せないが少しでも書けるときに書いておきたい。

何故故郷に回帰するのか、それは一言幼少期を共にした私の大切な兄弟が健在で私を迎えてくれるからであり、何よりも記憶の原風景がこの半世紀であまりに様変わりしたとはいえ、五十鈴川をはじめ、懐かしい山川海が健在であるからだ。(としか言えない)



幸節館道場との出会いでゆみを続けることにしました
ご先祖のお墓からもかすかに海がのぞめるし、次兄の家の近くからは海がのぞめるし、門川神社からの眺めは素晴らしい。ビルディングはなくとも遠見山からの望む太平洋は朝夕晴れていれば半世紀前と何ら変わらない。

ふるさとの山・川・海に向かい ていうことなし、故郷の匂いは有難きかな、というほかはない。人工的なものはなくとも、自然の幸は68歳を迎えたばかりの今の私をこれ以上ないやさしさで包んでくれるのである。

わが姉兄たち、私の大好きな人たち。彼らと共に私は老いてゆきたいのである。昨日今日出会ったわけではないのである。見渡せば高齢者となり、わが姉兄弟、だがどっこいみんなしぶとく、きちんと生きている。老人ホームや介護施設に入っている人はまだいない。

頭もしっかりとしている。カッコイイ憧れる高齢者が住んでいるわが故郷は、私の誇りである。