さて、大都市、人口の多いエリア千葉県などではコロナウイルスの感染者が日増しに増えていて、まさに先行き予断を許さない状況が続いている。この調子では地方の人口密集地でなくても、不要不急の外出は控えるようにとのお達しが出るのも予想される。
わたくしごとになるが、今年に入り私はアルバイト、お墓参りの帰省や、塾のレッスン日ほか(先週の孫の上京お誕生会も含む)、きわめて個人的な用事以外ほとんど不要不急の外出はしていない。
もっと書けば、この数年本当に 外出しなくなった自分がいる。老いるにしたがって、動きまわらなくても足りる生活を好む方に変化しつつあるのである。とはいうものの、いまだ私は基本的に旅が好きであるし、絶対矛盾を抱えつつも、日常の中に非日常的な感覚を取り込めるような生活ができないものかと思案する。いよいよもって初めて経験する老いの下り坂を、前向きに下ってゆきたいと思わずには、居られないのである。
久しぶりに読み応えのある小説を読んだ、作者の意気が素晴らしい |
先のことはわからないが、コロナウイルスが終息したら土取さんの企画を推し進めるためににもゆっくり動き回らないといけないし、コロナウイルスの発生する前からほとんど人混みの中に出掛けないような暮らしをしていたから、さほど私の暮らしにはことさらな変化はない。
大変なのは就活中の若い人や個人事業主、現役バリバリの世代や、子供たちである。娘たち家族のことのみならず、人類全世界の家族が未曾有の未知のウイルスにおびえた暮らしを余儀なくされている。果たしてどのように生活すればいいのか。私自身も(が)問われている。
私のアルバイトの仕事は4月から働く時間数が増える。(増やしてほしいと頼まれた)前向きに考えることにし、頭で考えるのではなく、自分と向かい合えるこの仕事が気に入っているので、コロナウイルスが終息するまではただ体を動かしたいと思う。そしてそれ以外の時間は生活の些事に重きを置いた暮らしを心がけるというくらいである。
このところ、以前にもまして落ち着いて本が読めるのも得難い時間だ。何事があっても時間は過ぎてゆく。ならば心頭滅却して過ごすにしくはなし、といった心境である。