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2018-06-17

シェイクスピア遊声塾の発表会にすでに9人の方からの申し込み、そして思う。

企画をしていたころは、手で案内書きをたくさん書いていたが、遊声塾の発表会は50通くらいしか出していない、それでもメールや、ブログのコメント欄に、すでに9人の方から参加の申し込みをいただいた。


何か最近自分が猫化してゆく(傲岸不遜あるがままである)

ありがたいことである、本当に感謝している。岡山に移住し、新天地で40歳から企画者として働き、61歳から 再びシェイクスピア遊声塾なるものを立ち上げ丸5年、一区切りのリア王の発表会。オーバーではなく感無量である。

いつまでやれるか、またいつまで人様の前で声を出せるのかは、自分でもまるで分らない。今は、極めて個人的な塾に参加してくださる塾生がおられるので、続けている。その塾生がいる間は、何とか一年でも長く続けたいと考えている、それだけである。自己肯定、希望を生きる。

(それを終えたらきっと次の何かが待っている、土と戯れるのである)

先日、とある女性から稽古を見学したいとのお電話をいただき、13日の夜その方が来られ、リア王の発表会に向けての、私を含めた7人でのレッスンを見学された。

早島に住んでおられる方だったので、途中で帰られたのだが、とてもうれしい塾生に見せたい内容のメールを翌日いただいた。
昨日掲載予定の、父の冊子、宝である(私は父と母の息子である)

リア王の発表会が終わったら、自分も声を出してみたい、参加してみたいとのことである。人様から月謝をいただいて人様を指導する なんてことが、わが人生に起きるなんてことは、61歳まで考えたこともなかった。

18歳から演劇を学ぶために上京し、何度も挫折を味わい、紆余曲折を経ながら、富良野塾を卒塾するまでの経験、中でもやはり20代半ばの英国自費留学で、たくさんシェイクスピアの舞台を見たこと、後半、シェイクスピア シアターで開けても暮れても、声を出し続けた経験が、今無駄なく生かされている。(若い時の脳に無意識に刷り込まれた体験が)

無駄な人生なんてないのである。この歳になってつくづく思う。自分を信じることが人生なのであると、今は臆面もなく言える。人の意見に振り回されない。

そのときの何か体でつかんだ自信が、遊声塾を立ち上げた時のバックボーンになっている。正直、塾生の参加がこんなにもあるとは。思わぬ意外なわが人生の展開に、何かが終われば、何かが始まるのだとの、誰かの言葉を噛みしめる。

たまたま出会えた、シェイクスピアを共に読める仲間はかけがえがない。今夜も発表会に向けて自主稽古を望む塾生がいるので、時間を共にする。


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